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麻酔をやって意識が戻らなくてもあたりまえ?
2010/03/26(Fri)
養老孟司さんが福岡にやってきた。テレビや著書には出てこない面に触れる機会なので出かけた。「薬はぜったいのまない。体でどんな作用が起こるか誰にもわかってないから」という発言を印刷物に残している方なので確かめたいとも思っていた。講演の趣旨とはずれていたし、質問者も多かったので回答はないものと思ったが、意外にもコメントはなされた。
「薬なんざあ、のめと周りにうるさく詰め寄られれば私だってのんでみせることはある。なあに一度や二度のんだからといって死にはしない。ほんとにのみたくなかったら、のんだフリしてポケットに入れちゃえばいいだけのことなんだ」とぼやくように一言。そのあと別の趣旨で話が進むうち、「不幸にしてか幸いにしてかはわかりませんがね、こんど何かの手術を受ける機会があったら医者にきいてみなさいよ。麻酔をやるとどうして意識がなくなるんですかって」
へへへへっといたずらっぽく笑ってこちらを見ている。少々意地の悪い養老スマイルだ。「9割がたの医者が口をつぐみますよ~。不機嫌になるでしょうなあ~」
「じつはわかってないんです」真顔できっぱりと、言う。…続き 福岡操体法スタジオ「麻酔から意識が戻らなくてもあたりまえ?」
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からだに寄り添う時間と手間はどのくらい必要なのか
2010/03/24(Wed)
だるい、なんとなくつらいという日は例外なく体がかたい。動き出すとき「よいしょ」と言い、動くたびに余計な力が入る。力の伝わりがよくないのだ。それで「からだが重い」ということにもなる。
頭痛や首が回らない、肩の痛みや腰の重さという表現で体のかたさが出てくることもある。そんなものを抱えこんだまま耐えるのが何よりつらいので、いつもの感じになるまで整える。いや、私が整えるのではない。体自身がおのずと整っていく、その過程につきあっている。つきあわなくても時間が経てば落ち着くのだろうが、そこに少しだけ関わりたい気がする。といっても「さあぐだぐだやってないで操体法やるよっ」みたいな掛け声をかけて尻を引っぱたく、というようなマネはしない。「あのさあ、やっぱきょうなんかだるいよねえ」とつぶやく感じで体の好きにやらせておく。操体法の動きを体が覚えてくれているので、もう自分でどうこうする必要はない。体の動きに自分の意識をただ寄り添わせていけばいい。すると、「あ、やっぱりここがかたくなってるね」とか、「ここはいつもと逆だねえ」とかいろいろな発見がある。体調のよくない日には、それなりのコリやかたさっていうものが、ぜったいにあるもんだなあと感心する。
やがてよどんでいた体の中をあたたかい血がめぐり始めるのがわかる。血の流れる心地よさってだいじだなと思う。ふうっと息が深くなる。最高に元気とまでは言わないが、心地よく過ごせるところには行き着く。「さて」とつぶやくと何事もなかったように起き上がり、いつもの日常がいつものように始まる。

体に意識を寄り添わせるということがわかるようになってから、感じるというのはありがたいことだと思えるようになった。コリのあるところが自分で感じ取れれば調整もぱっぱと進む。体を前後左右ねじりなど軽く動かせば、つっかえるところや痛みが出るところがたちどころにわかる。わかってしまえば放っておく気にはならない。どんどんコリをとっていく。とっていくとさらにコリがよくわかるようになる。
「毎日やるんですか~、マメなんですねえ」と言われるが、マメなのではない。放っておけないくらいイヤになるだけのことだ。「体がやわらかくなっていくと、だれだって自分で自分のコリがわかるようになりますよ」とかえすとイヤな顔をされる。「わるいところが自分でわかるようになったら、それはそれでイヤですね…」と言う。
「なあに大丈夫ですよ~。くさいにおいもしばらくすると、鼻がきかなくなってにおわなくなるでしょう? それと同じでコリも放っておけばそのうち何も感じなくなるから~」とかえすと妙な顔をされる。
「それって、いいことなんですか」「さあねえ。何も感じないからといって、よくなったわけではないのでね。わかったあとにどうするかは自分で決めればいいことです」と言うと、たいていは黙りこくってしまう。

こんなやりとりを、私は何度もしてきた。「え~毎日やるんですか~」と言っていたのは以前の私だ。毎日だなんてよっぽどマジメなんだな~くらいにしか思わなかった。毎日こんなことを続けなきゃならなくなるんだったら不自由だよな、よほどイヤだよなと思っていた。今もそういう気持ちがぜんぜんないと言えばウソになる。ほんとは調整に時間なんかわざわざとらなくても体はきちんと整う。そういう段階がくるはずだと思っている。もっとカンタンにできないか。もっと短い時間で、もっともっとラクにできないかと思って勉強を続けている。パンパーンと拍手をして太陽におじぎするくらいの手間と時間とで、現在やっている調整と同じくらいの成果が出ないものだろうか。そんなことを、思っている。
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治らないと言われたり治ると言われたり
2010/03/21(Sun)
「これ治りますかってT先生に尋ねたら治らないって言われたんですよね、でもI先生はそんなことないって言うんですよ。どっちがほんとなんですかね」そう訊かれたので、「どっちも本当だ」と私は返事をしておいた。

今日は天気がよかったので一日好きに歩いた。河原の土手をのぞくとタラの木が散見される。山菜の王者呼ばわりされる木だけに、芽を摘まれた痕のないものはない。乱獲されて立ち枯れしたものもあり、枯れる一歩手前という弱りきったものも多い。幸運にも数メートルにまで育った大木もあるが、木肌には芽を摘まれた痕が無数に残る。大木を観察していると、どの芽を摘まれたのちに、どこがどう伸びていったかが、枝の伸びた方向やかたちから見える気がする。芽を摘まれた傷痕は、癒えているのだろうが、摘まれたことをなかったことにはできない。人間もそれと同じではなかろうか …続き 福岡操体法スタジオ「治らないと言われたり治ると言われたり」へジャンプします。
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ハンドバッグを握ったまま波間に浮かんでいた一晩の長さ
2010/03/19(Fri)
フェリーの女性客が夜の海に転落し、何につかまるでもなくハンドバッグを握ったまま海面から顔だけ出して泳ぎもせずにじっと浮いていたのだという。子供のころ聞いた話だけれども、勇気のある人もいたものだと感心したことをおぼえている。以来私は折に触れ、ハンドバッグを握ったまま、助かるか助からないかも波にまかせ、海面に顔を出してぷかぷかと漂ってゆく女性の姿を思い浮かべるようになった。人間は基本的に浮くようになっているものだという。つまり誰もが彼女と同じように不要な力を抜いて、よけいなことを考えず、顔を海面に出していさえすれば沈まずにいるものなのである。しかし、ヘタにじたばたすれば自分の意思にも関わらず、いや、自分の意思を優先させようとするからこそ、その体はいらぬ力を得て、沈む。…続き 福岡操体法スタジオ「助かろうとするとたちまち体は沈んでしまう」にジャンプします。
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木のかたち・自分のかたち
2010/03/09(Tue)
自分の見栄えにとんちゃくすることなく、ただ一心に生きている木々の姿には無条件な感動をおぼえる。その姿かたちは、ただ生きる営みを経てきた結果にすぎないということが、何かとてつもなく尊いことのように思われ、自分の周りにあるすべての植物が、まるではじめて目にする不思議なもののように思われてならない。…続き 福岡操体法スタジオ「木のかたち・自分のかたち」にジャンプします。
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誰からも教わらず助けられることもなく生きている
2010/03/04(Thu)
病気は誰のせいでもない。ウイルスのせいでもない。生まれつきの弱い体のせいでもない。自然のはたらきだ。べつにわるいことではない。自然にはよいこともわるいこともない…続き 福岡操体法スタジオ「誰からも教わらず助けられることもなく生きているものたち」へジャンプします。
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