薬剤のボトルを腰にぶら下げた木々と私たちの姿と
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2010/01/27(Wed)
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太い幹に穴をほがしていくドリルの音が聞こえてくる。赤茶色のボトルがぶすぶすと突き刺さった松の木が立ち並ぶ森の中を歩いていると彼らが人間の姿に重なってくる。
化学薬剤に頼って自然さえ保護しようとするヒトの発想を、どう考えたものだろう。 「市民の森」はいまや「消毒の森」と化している。薬剤に目やのどを刺激されることなくウォーキングを楽しむことはほぼ不可能に近い。オランダでは公園や市民の憩いの場には化学薬剤に頼らず、自然のものでケアと管理をしていく方針が守られているが、オランダの人々にできていることが日本人にはなぜできないのか。この山には湧き水が至るところにあり、気にもとめない人々は、その水に手をつっこみ、タオルをぬらし、顔を洗い、時にはのどをうるおしている。こんなにきれいな青空と太陽のもとで、誰が危険で有害な化学物質のことを警戒するだろうか。 大量の化学薬剤を散布された山の土壌には薬剤が浸透し、それがどこまで広がっていくのか、どのていどが残留して蓄積されているのかを、誰がどのようにして調べているのだろう。人々の、早朝から作業にいそしむ人々の姿をぼんやりと眺める。きびきびと立ち働くその後姿には少しの疑問や躊躇もない。「決められたとおりのことをやっている」だけなのだ。実際にそれを行う者が、何一つ決定権を持たされていない。現場で直接見たり聞いたりして感じられることが反映されない。フィードバックによる調整がはたらかないしくみである。…続き 福岡操体法スタジオ「薬剤のボトルを腰からたくさんぶらさげた木々」へジャンプします。 スポンサーサイト
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人間はちり(塵芥)でできているか
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2010/01/19(Tue)
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「ちりも積もれば山となる」というが、「あなたはちりでできています」と言われていい気持ちのする人はいないはずだ。聖書の中に「ちりでできているものはちりにかえる」という文章を見つけたのは小学校に上がったばかりのころだったか。古ぼけて黄ばんだページの活字は子どもだった私の自尊心をひどく傷つけ、神というのは人をずいぶんバカにしていると思った。
ちりとは塵芥であり、ゴミ箱に捨てられているゴミのことである。自分の身体がゴミと同じものでできているということを最近の私はよく考える。自分の身体が星くずでできていると言ったほうが耳ざわりはいいのかもしれない。 すべての物質は原子でできている。中学で教わる原子論である。 地球上にはおよそ百種類の原子があり、それらが組み合わさっていろいろな物質となる。宇宙空間にはもともと原子番号1の水素や原子番号2のヘリウムしかなかった。それら軽い原子が天体の中で融合して重い原子となり、天体が死を迎えるときのすさまじい爆発=超新星爆発で宇宙空間に吐き出される。爆発のときのエネルギーによってさらに新しい種類の原子がつくられる。天体の生き死にの繰り返しでさまざまな種類の原子がつくり出されてきた。そう言われている。 原子はさらに陽子、中性子、電子といった粒子でできている。酸素の原子だろうと鉄の原子だろうと、およそ百ある原子を構成するのは3種類の粒子でしかない。どの原子にもみな共通である。生命体も無生物である物体も原子でつくられているというのなら、突きつめて言うと同じ3種類の粒子でつくられているのである。それではなぜ同じ粒子が生物の体となったり無生物を構成するものとなったりするのか。あるとき師匠にいきなりそう問われ、私は面食らったのである。 私の身体は一時的に「私」というものを形作ってはいるが、それはまたいつかバラバラの粒子となり、いつかは宇宙空間に放り出される。聖書に書いてあったことはまったく本当のことだったなあと思うのである。「私」とはちりの集積した仮の姿だから、いつかはちりに還る。ちりの粒つぶのどこをどう探し回ったところで「私」というものはどこにもない。不在である。何らかの関係性を持って集まっている粒つぶの関連全体が「私」であり、「私」そのものには実体がない。子どもの頃とちがって今の私にはそのことに不満は感じられない。いっそすべてのものが同じものでできているというほうがすっきりする。理由はわからないのだけれど。 |
この世に実体のあるものはないが関係で成り立っていないものもない
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2010/01/17(Sun)
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右のヒザに違和感が出る。かならず違和感が出てガマンならなくなるのだ。右ヒザがわるい。そう言いたくもなる。では左のヒザはおかしくないかというと、そうでもない。右のヒザには左のヒザの協力がある。左右の肩甲骨も腰も太ももも足首も、みんな何らかのかかわりで右ヒザのわるいのに加担している。操体法で動いていると、それが手に取るようにわかってくる。右のヒザと左のヒザと、どっちがよいとかわるいとかいうことではなく、両方の関係が自分にとって好ましくはないのだ。そして両ヒザの好ましくない関係を支えているのが左右の肩甲骨の好ましくない関係であったり、もしくは右のヒザと左の肩甲骨との関係や、全体と部分との、あらゆる関係なのである。胃腸や肝臓など内臓との関係もないわけではない。そのように、全体と部分とのかかわりあいをみていくと、「ははーん、なるほど」とわかってくることがあり、わかってきたぶん症状は軽快し、自分でコントロールできるようになる。動きをコントロールしてムリ・ムダのない動きを反復していくと、次第に必要な筋肉が必要なぶんだけついてくる。それは必ずしも孔雀の羽のように見栄えのするものではないかもしれないが、ムリムダのない動きを再現する、疲れを知らない身体をつくってくれる。「動きが身につく」という。動きは神経の回路をつくり、筋肉をつけて身体を形づくる。動かし方によって全身の筋肉のバランスをくるわせることも整えていくこともできるわけだ。ムリな動きを反復していくと筋肉のバランス、部分と部分との関係もそのようになり、全体のバランスをくずしながら活動せざるをえない身体がつくられていく。そこに必要とされる動きを取り入れて、筋肉のバランスや部分部分の関係を好ましいものへと転じる。動きを通じたこのような肉体改造に私は取り組んでいる。
「この世に車というものはない」という話を私は思う。「車」とは何であるか。タイヤは「車」ではなく、フロントガラスも、バンパーも、「車」ではない。「車」とは、車体にタイヤやフロントガラスやバンパーなどを組み合わせた総合であり、「車」そのものには実体がない。「車」とは目に見えるものではなく、部品どうしの関係が組み合わさってできた一つの関係のあり方である。部品どうしが関係を失い、タイヤやフロントガラスやバンパーなどバラバラになってしまえばそこに「車」は存在しなくなる。バラバラな部品がしかるべき位置関係と機能とを互いに「車」としての関連付けに至ったとき「車」の姿が立ち上がり、「車」というものが実際にあるように思われるのである。 この世に存在すると思われているもの全てが「車」同様に実体のないようなものだ。自分自身についても同じことが言える。「私」とは何か。「私」はこの体のどこにあるのか。「脳」にあるという話も聞くけれども、他の部分を失った「脳」は何を考えることができるのか。ある液体の入ったタンクに全身を浸すと身体の感覚、とくに皮膚の感覚を最大限にカットできる、そのような装置が発明されている。そのタンクに入ったことのある人々によれば、それは異様な体験であったという。立花隆さんによると、「自分」というものがどろっとどこかへ流れ出してしまうような感じだという。「脳」とは全身の感覚情報が集まってくるところなのだから、全身のあらゆる部分を失った脳の働きなどありえない。「脳」だけあれば今の自分自身を永遠に温存できるというのは人間が勝手にこしらえたSFか都合のいい想像の産物にすぎない。 私の皮膚は「私」そのものではなく、私の手足も「私」そのものではない。胃腸も肝臓も、何もかも、「私」は全体が組み合わさった総合であり、バラバラの中には「自分」は存在しない。全体の関係性で「私」は成り立っている。実体はない。そのようにブッダは説明をしている。なるほどとうなずいてしまうのである。 肩が張る、腰が重い、頭痛だ、胃腸がわるい、あそこが痛い、ここがわるいという話はよく聞くが、部分をいじってどうにかしようと思っても、さして効果が期待できないのも当然のリクツである。どこかの具合がおかしければ、それは全身全霊でつくられている現象だから、全体の関係に働きかけをする必要がある。今の医学の発想はこの点で逆転している。病院に足を運べば、あなたのわるいところはココですと限定される。全体から部分を切り離す作業に力が注がれ、全体の関係性は切り捨てられる。こうした逆転した発想をばらまいているところに今の医学の一番の罪があると思う。 |
「その先」があるのなら「その先」を見たい
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2010/01/12(Tue)
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病気に振り回されたり老化に振り回されたくはない。病気とか老化とかを相手にするなと機会あるごとに言われ続けるうち、そういう気分になった。のせられやすいのである。
山の付近で野宿するというのもそういう気分の表れであったように思う。気力が落ちていた。自然の中で過ごすといっても足がまるできかず、テントの中で寝袋にくるまってじいっと眠って過ごすこと以外なかったのだった。野宿を繰り返すうちおのずと元気が湧いてきた。山を歩けるようになると必要も感じなくなり、日没後の山に近づくことはやみ、毎日連続の山歩きを始めた。頂上は踏まない。身が持たないのはわかっているからだ。毎日3時間のペースで続くと思われる上り下りを組み合わせ、適当にコースをつくっている。それでも5日10日と続けてゆけば続けただけの疲労が蓄積される。続けるか、休日を入れるか。日々考えるところではある。 10日を過ぎたあたりで足が前に進まなくなった。気持ちは高ぶってもいないし落ち込んでもいない。足を引きずり引きずりいつも通り3時間前後歩いた。これでも続けていくとしたら自分で対処できるかどうか。考えるところである。 年末年始の休み明け、二週間ぶりに師匠に体をみてもらいに出かけた。自分がやっていることはできるだけ言わず、こっそりやることにしている。こっそりやったところで体をみられればすぐにわかってしまう。「こんなになっちまってるぞ」とポイントを押さえられ、激痛にきゃっと飛び上がる。そういうことの連続だ。「この痛み苦しみをガマンすれば強くなると思ってるだろうがそうはいかないんだな、これが」と先を見越され、しおれたことも何度もある。だから次こそは見抜かれまいとして黙っていろいろと実行する。 結局、師匠にみてもらう前に山歩きを1日休んだ。すると驚くほど体が軽くなったのだ。こういうのは初めての経験だったので、師匠の目の前で自分の体がどんな動きをするか、結果がわからなくてワクワクした。 不思議なことだが、自分で体を調整しているときと、イザ師匠の前で体を動かすときとでは、動きが変わってしまう。「いや今朝足を上げたときはきちんと右も左も上がっていましたよ」と言いながら師匠の前で動かしてみると左の足がうまく上がらない。そういうことは少なくないのである。練習したピアノ曲をピアノの先生の前で弾くと、思ったよりずいぶん出来が良かったり、誉められると思っていたのがぜんぜんダメだったり、そういうことと同じなのかもしれない。さて足を立てて横倒し。左右きれいに倒れる。これまでにないほど引っかかりがない。前後の足の突き出し。これも見事にそろっている。毎日汗ばむ程度に動き続けるのと体を調整するのとを続けることが、今回はうまくいったということがわかったわけである。しかし左右の動きにともなう感覚は私をだますことはない。左右同じに動いているように見えても感覚には雲泥の差がある。相当ガンコな差が続いている。 「先生じつは」と12月末から続けてきた自主トレについて話してみた。続けるべき価値のあることか、愚かな試みなのか、迷っていたからである。「もう足が一歩も出ないという感じで腰も重いし、いやもう大変でした」と話すと、「そこから先が、あるんだよ」。「いやもう、この先はないっていう感じでしたので大事を取って一日休みました」と言うと、「それがあるんだなあ」。「ありますか」と私。「ある」と師匠。「うーん、あるんですかねー、その先っていうのが」。「歩きかた、食事の方法、その他、たくさんの要素がからんでくる」。「ふーん」。 ここから先を続けるというのは私には未知の領域である。バカな行為と紙一重。別にそんなことをしたって「なぜそんなことするのか」とけなされはしても誉められることではない。なぜ今になって師匠はああいうことを言うのだろう。以前はムリ・ガマンはバカのすることだみたいなことを言われたものだが。 もう一度やってみるか。 もうその日の帰りには近くの山に行っていた。ごく短時間であったがじゅうぶんだった。「その先がある」と確信をもって教えられたのは生まれてはじめてのことだ。「先がある」というのなら「その先」を見てみようと思う。もちろんカンタンに見れるものではない。今の私にはそれがわかる。だからこそ、ひょっとすると今年は「その先」まで行けるのかもしれない。じわじわと、詰めてゆく。あせらず意気込まず、じわりじわりと詰めてゆきたい。 |
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