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犬やネコが伸びするような、心地よい動きが体から湧き出てくる
2009/11/20(Fri)
体は勝手に動く。水たまりをよけるのに「左足で踏み込み右足で1m先に着地せよ」とは思わない。人は体の動きを無意識に処理して一日を過ごす。
ネコや犬が足で横腹をかいたり「うう、なんて気持ちいいんだ」と伸びにひたったりしている。あの最高に心地よい伸びは何のためにあるのか。
子供が寝ているうちに姿勢が変わっていって、枕元に足がきていたり布団から大きく飛び出したりするのが、だんだん年をとるうちにあまり動かないで寝ている。これは何を意味するのだろう。

習い事を始めるとき、ラケットやバット一本握るのだって、右手はここ、左手はこう添えて、親指はここ、体の向きは、などと一つ一つ細かいことを教わるが、繰り返すうち、ぱっと握ってさっと振っている。新しい動きを覚えるときと、すでに身についた動きをするときとでは、使われる筋肉も、使う脳の部分も異なっている、ちがうのだという研究があるというが、それもうなずける。全身に広がっていくような気持ちのよい伸び。眠っているときにしぜんに体が動いていく寝相。こうしたものは、体のゆがみを修復・調整しようとして、必然的に体から出てくる人体の生理だと言われることがある。体の動きを制限されるような、せまい所で寝ると、翌朝、疲れがとりきれていない感じがしたり、あちこち痛くなっているといった体験を思い起こせば、うなずける話である。年をとると体の動きは活発でなくなり、全身に広がっていくような心地よい伸びのことなど忘れてしまうことも多いが、それは生命の働きが活発でなくなってゆく一つの現象なのかもしれない。

体が自動的に心地よい動きをするのは、人体の生理として誰にでもあたりまえに備わっている。あくびや伸びといった心地よい感覚をともなう動きには、体の修復や調整についてどんなよいはたらきがあるのか、きちんとした研究はなされていない。野口整体の野口晴哉の著書には、野口整体の活元運動は錐体外路系のはたらきに関連するものだろうとある。私が操体法と出会い、自動運動を出してもらった当時の説明では、寝相と錐体外路系とは関連があり、操体法の自動運動もそれと同じ部分が関わっていると思われるが、それ以上のことはわかっていないということだった。

操体法は気持ちのよいことならどんな動きでもよい。重心移動の法則など基本的なことはあるが、動きそのものにはきまりはない。しかし「どうでも気持ちよく動け」と言われても困るから、とりあえずいくつかの動きを教えてもらう。教えてもらった動きの中に、自分の気持ちよさを発見していけるようになると、必要に応じて自分なりの心地よい動きがどんどん見つかるようになる。マッサージや鍼灸などやってもらうばかりではこうはいかない。自力の調整法ならではの自由自在である。

操体法の自動運動は、自動的に気持ちのよい動きが体から出てくる。どこに意識を集中するか、ポイントによって動きも異なる。ヘタに頭で考えるより、体から湧き出てくるものに身を任せたほうが具合のよいこともある。「ここの痛みがどうにもとれない。そっちのほうでどうにかしてくれ」とゆだねると、体は引き受けてくれる。あんまり体に力がない場合は自動運動は出ないとも聞くが、幸いそのようなことはあまり経験がない。
電車の中でぼうっと過ごしている様子を見ていると、足を組んでいたり、組んだ足をぶらぶらさせていたり、手遊びのようなことをしたり、はたからでは意味のない動きをしているものだ。あれは本人にとっては動いたほうが具合がいい。動かないと落ち着かなかったりイライラしたりするだろう。落ち着きのない子供にしても、必要があるから落ち着きなく体が勝手に動いてしまう。こうしたことを体の調整にもっと都合よく応用できないものだろうか。そう考えた人が、操体法をやっている人の中にいたのである。

それは一種の暗示だろうという人もいる。気持ちのよい動きがどんどん出てくるならたとえ暗示でも大いに結構だ。自分の中で「自動運動は人体の自然の生理のはたらきだ」という気持ちがじゅうぶんはっきりしてくると、「自動運動なんかあたりまえだよ」と知人の体に手を当てていたらぽんと出たというようなことも起きる。もちろん本人の希望によるものだ。自動運動なんか、目を開いたまま半分眠って寝相を出すようなもの。勝手に体が動くというなら止まらなくなるのではないかと恐れる向きもあるが、手遊びをやめろと言われてその場でやめることができるのと同じだ。むしろ最初のうちは本人が思ったようには動きが出ないことのほうが多い。気持ちよく自動運動を済ませたあとは、体が軽く、うきうきする。

水の底からぷくんと膨らんできた泡が、すいーっと浮かんで水面でぽくんとはぜる。次々と浮かんでは、ぽくん、ぽくん。それと同じように、自分の体の内側の、奥の奥のほうから膨らんでくるものが、何ともいえない心地よい動きとなって体の表面に浮かんできては、ぐぐーっと全身が伸びていったり、大きなあくびとなったり、手足をばたばた動かしていたり、する。ほんとの心地よい動きは、体の奥のほうから無条件に出てくる泡のようなもので、それがはじけるときの気持ちよさといったら、口ではちょっと言い表せない。自分のすぐ頭上に青い空がぱあっと広がっていくような爽快さだ。
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自分自身に疑いの目を向けていては半分きりしか力も出ない
2009/11/12(Thu)
インフルエンザの記事や健康関連に目を通していると、「人体を管理・監視しろ。油断すると何をしでかすかわかったもんじゃないぞ」という声が聞こえてきそうだ。疑い深くならざるをえない世の中で、一番信用ならないのが自分自身だったりする。疑いと油断。その二つが自分に向けられた目になっている。信用とか信頼とか、そういうものが果たして自分にはあるのだろうか。ふとそう思ってドキリとすることがある。

自分の病気や健康方面のことは、誰しも疑い深くならざるをえない。たった一つの体。死ぬまでご厄介になる大切な体であり命である。慎重にもなろうというものだ。
しかし何に対して疑い深く慎重になるか。そこのところがずいぶんおかしい。じつにヘンだぞという感じがずっと抜けないでいる。「うちの子はバカだから、こっちがしっかり見ていてやらないと、とんでもないことをやらかすにちがいない」というような目を向けていては、体は自然に備わった力の半分も発揮できないだろう。…続き 福岡操体法スタジオ「自分を信頼するにも信用のつみ重ねは必要かもしれない」へジャンプします。
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口から入るものが精神性と深く結びついている
2009/11/10(Tue)
体重や生活習慣病のコントロールに振り回されているときに、「食」は自分の精神性と深く結びついているなどとはなかなか考えられないものだ。しかし仏教にせよキリスト教にせよイスラム教にせよ、食生活は宗教生活の重要な位置を占めている。その歴史の重みを考えると、口から入るものが自分のこころや精神と無関係だというほうが、むしろおかしい。
他方、病院の科学的根拠とする栄養学に目を向けてみると、あらゆる食べ物をカロリーと栄養素に単純化し、数値化し、毎日同じカロリーと栄養素を人間の体に注ぎ込むという考え方は、非常に機械的に感じられる。燃料タンクに燃料を補うといった感覚のようだ。入院中に食事を残すと職員からぐじぐじ言われる。それがイヤでがまんして食べるととたんに具合が悪くなる。その繰り返しでしょっちゅうケンカになったという、笑うに笑えない話もある。病院食を経験した人は口をそろえて言う。「あんなものをずっと食べていたらほんとうに病気になってしまうと思う」。人間機械論を背景とした病院の栄養学が科学だというのなら、人間は病院の科学にはまったくそぐわない生きものだといえるだろう。…続き 福岡操体法スタジオ「口に入るものが精神を左右するというのは迷信か」へジャンプします。
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自分のからだで確かめなければわからないこと
2009/11/09(Mon)
操体法は私の魔法のジュータンだ。自分のこころとからだの旅をするのにこれがなければ始まらない。何百何千もの本や論文に書かれていることもだいじだが、他人の意見は実に多様で、どれをとったらよいのか迷う。しかし健康の問題に関する限り、自分のたった一つの、何ものにも代えがたい自分の体にかかわることだから、許されない失敗もあるだろう。科学は物理分野つまり生き物ではない世界については発達しているが、今わかっている科学の分野で生き物も割り切っていこうとしているのが現状ではないだろうか。「ロケットが宇宙に飛んでいく時代だというのに自分のガン1つ治せない」とよくいわれるが、ロケットの技術と理論ではガンの1つも治せない。それどころかインフルエンザにも大騒ぎ。それが現実というものではなかろうか。…続き 福岡操体法スタジオ「何百何千もの本や論文より確かなこと」へジャンプします。
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60点以下で動き続けるほうが不満はない
2009/11/01(Sun)
具合のわるかった人がよくなってくると、自分の体の調整も念入りに慎重にはげむようになってくる。すると自分の身の内にあるものがいろいろとわかってきてかえって不満に思う部分も出てくる。…福岡操体法スタジオ 「努力がいらないものほど無理がなく長続きする」へジャンプします。
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