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食のあり方を専門家に学ばなければまっとうに生きていけないのか
2009/10/26(Mon)
いつ何をどの位食べるのがベストなのか判断する力は体に備わっているはず。しかし現実には「食」に振り回され、苦しみをかかえる人は少なくない。…続き 福岡操体法スタジオ「『食』に振り回されながらだんだんわかってきたこと」へジャンプします。
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食生活の改善がいいのはわかるが実行できないならなんにもならない
2009/10/25(Sun)
人類は汚染物質をばらまいても環境からそれを回収する技術は持たないので食材の質が低下するのを止めることはできない。あとは食材の種類を減らすか量を減らして体の負担を軽減する。やれることといえばそのくらいしかない。…続き 福岡操体法スタジオ「食べ物で病気が改善したはいいが、その先どうするか?」へジャンプします。
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どんな病院通いや治療法よりも費用がかからなかった
2009/10/24(Sat)
病人は感覚が敏感になるという。アレルギーの日々は体に無頓着であることを私に禁じ、体調や身体の感覚に常に目を向けておくことを強制した。日常の何気ない生活の場面で起こる不愉快な体のリアクションの数々をここで挙げていけばキリがない。
ホコリっぽいところではたちまちクシャミ、鼻水、目やのどのかゆみ。ガンガンと音が聞こえるくらいの頭痛をともなうのぼせ。手足の冷え。急に暖かい部屋に入ると鼻水が止まらない。水や湯に入ると全身にぽろぽろとじんましん。手指には無数のひび割れ。鼻は空気の出入りを拒み、血液や汚れた膿の排泄をさかんに行うばかりだった。便秘で腹は張る。偏頭痛。立ちくらみ。
アレルギーの諸症状といえばそれまでだが、決して慣れやしない。実験動物に理由も無く電気ショックを繰り返し与えるとウツになるというのを思い出す。癇癪持ちでワガママで、神経質な子どもだと嫌われていたのも無理のないことだったろうと思う。

たまたま食事を変えたのである。玄米菜食の道場で数日過ごしてきたというご近所の話を母が聞いてきた。砂糖がいけないらしい。加工食品もいけない。野菜も無農薬にしたほうがいい。その日から食べものは「安全な食品」と「危険な食品」の二つになり、子どもたちは「これはだいじょうぶ?」「これは毒?」と訊くようになり、「外にあるのは毒だ」というような、内と外の意識を強くした。自然食品店と共同購入のステーションに配達されてくるもの以外なにも口にしなくなってから、しだいにアレルギーの諸症状は緩和されていった。どんな病院通いより、どんな療法より安価で効果が実感された。

続けるうちに、改善されていく食事のあり方が当たり前でふつうとなり、お菓子も肉も魚も卵も乳製品も自分の食べものからどんどん差し引いていった。若い一途さで徹底したが、ものの本にあるような、頭がさえて素晴らしい持久力がついて、というようなことはなく、アレルギーにしてもまるで忘れてしまうほど消えてなくなるものではなかった。(この項つづく)
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からだの中を流れる時間は壮大な自然の時計の針が刻んでいる
2009/10/22(Thu)
身体の中を流れる一本の川。病気を治すというのは、その川の流れの向きを変えるようなものだ。いっぺんに向きを変えようというのではなくて、まず流れがゆっくりとしてきて、それからよどむ。もとの流れに戻ろうとしたり向きを変えようとしたり、外から見るより中のほうではいろんなせめぎ合いがあっているかもしれない。しかし人間は短気だから「これでもう治った」もしくは「これ以上治らないんだ」と勝手に解釈して、元の生活の流れの中に頭から飛びこんでいく。すっかり変えるチャンスをみすみす逃してしまう。…続き 福岡操体法スタジオ「身体=自然の持つ時計の針の動きとともに」へジャンプします。
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からだの中に流れる時間は壮大な自然の時計の針が刻んでいる
2009/10/22(Thu)
どんな病気も医者が思ったようには治っていかない。医者を満足させるような経過をたどって体は回復していくのではない。もちろん自分が思うようにも家族が思うようにも治ってはいかない。治った病気とはカンタンな病気のことであって、実は何もしないでも治る。本当に治さなければならないのは「治らない」とされる病気なのだ。
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予防接種が最悪の事態を想定した気休めだとしたら割りに合うものではない
2009/10/21(Wed)
元国立公衆衛生院感染症室長の投稿が10月10日の朝日新聞に掲載された。「疫学者からみればインフルエンザワクチンは、予防接種の中で最も効かないものの一つだ。…効果が証明されていないにもかかわらず、重い副反応が出やすい妊婦や幼児にまでワクチンを勧める厚労省の方針に、危機感を覚える…7千万人への接種は、大規模な人体実験に等しい」など、読む者の心を揺り動かさないではいられない文面であった。その「人体実験」の結果は数年後には明らかになるはずだ。…続き 福岡操体法スタジオ「インフルエンザ予防接種は気休めでは割りにあわない」へジャンプします。
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甘い物の話は肥満の話にすりかえられてしまった
2009/10/18(Sun)
「うちの子は甘い物など食べさせてません」と言っていたおかあさんが「アイスクリームも甘い物に入るんですか?」と目を丸くする。それほど甘い物は生活のすみずみに行き渡っており、肥満防止以上の問題として認識されることはない。しかし難病や病気がちの子ども、長患いをしている人の話を聞いていると、過去に甘いものや果物などをよく口にしていた時期があるとわかる。本当に危険なものとは、その危険がじゅうぶんに意識されないときにこそ、もっとも危険なのである。…続き 福岡操体法スタジオ「子どもがたくさんバナナを食べたがったらどうするか」へジャンプします。
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自分の体は管理してやらないとダメになるバカなのか
2009/10/17(Sat)
節制と禁欲。これが健康には不可欠だと思い込んでいる人がものすごく多い。「体には人一倍、気をつかっています」の背景には「自分の体は飼い犬でもしつけるみたいにコントロールしてやらないと、体はおバカだからいずれダメになってしまう」という考えがあるように思う。
何をどう飲み食いするか。睡眠は、運動はどうするか。そういうことを専門の学者かえらい先生に聞いて教わらないと、自分の体は勝手なほうへクサリをぐいぐい引っ張って、川や穴もしくは崖っぷちにまで自分を導いていくにちがいないというのである。

しかしどうにも頭のよくない犬ばかりらしく、「しつけ」が思うように進まないという悩みは尽きないようだ。とくに飲み食いの「しつけ」には手をやいている人が多く、いつでも何でも自分の好きなものが飲み食いできる時代の幸せが、一本ちがいの「辛」の文字に見えてくる。
食べすぎというのは量の問題ではない。体重の問題にもしぼれない。自分の体の処理能力を越えていたら一日お握り一個でも食べすぎになる場合だってある。激しい運動もしたおぼえがないのに慢性的な筋肉痛とコリで体を固くして、腰痛、肩こり、頭痛、うつ状態が当然のように起こる。肝臓、腎臓、すい臓、心臓、いろんなところにガタがくる。
そこまでくると、厳格な修行僧になる人があらわれる。「禁欲生活の中にこそ健康はある。それは長年わかっていたが、修行の厳しさを思うと踏み切れないでいた。病気をきっかけとして今は修行に励む日々を送っている」。また、一口一口にびくびくして、食後の血糖値が上がり過ぎたと血相をかえてやってくる人もいる。本当にそういうことでしか若さと元気を保てないとしたら、もうそんなのいらないっていう人が出てきても不思議じゃないと私などは思う。

ところでお腹を押してみて痛みや不快感を強く感じるところはないだろうか。固くなっているところなどはないだろうか。これは自分の発案ではなくて、ずいぶん昔からあるやり方なのだが、上向きあるいは横向きなど、ラクな姿勢で床に寝て、息を吐くとさらにお腹はゆるむから、指先を腹の奥に突き立てる感じでじわじわ押していく。息を出し切る一歩手前のタイミングでぱっと離す。そういうことを腹全体にやっていく。広くて深い自分のお腹ワールドを探る一つの方法だが、自分のお腹から直接情報が得られてずいぶん驚かれる。
痛みや不快な感覚が強いところ、それに妙にかちんと固く指にあたるところ、これは何なんでしょうか? と不安な声で訊いてくる人もいる。私は子どものころに、この腹を押してはぱっと離すというのを何かで読んでためしにやってみたのだった。すぐに鋭い痛みを横腹に探りあて、大変なショックを受けた。これはきっと何かの重病で自分はこのせいで死ぬのかもしれない、そのくらい痛いのだ。今でもその痛む場所は私の腹の中にある。それが何であるかは誰も教えてくれない。想像ではあるが、甲田光雄医学博士の指摘していた腸管の異常か所かもしれないと思うことはある。…続き 福岡操体法スタジオ「禁欲しないと健康でいられないなんてバカバカしい話だと思う」へジャンプします。
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自分の寝室に壮大な夜空をいだく-一戸建て移動式住居について-
2009/10/15(Thu)
流星がギラッと刃で闇を切りつけて最後の光を残していく。北極星がじっとこちらを見つめている。あれを軸にして地球は回っている。私も住処を動くが地球だってちっともじっとしてやしない。どうしたってみな移動を繰り返すほかはないのだなどと思う。私は夜ごとテントに乗って、この夜間飛行に身を任せる。寝返りをうちつつ深い眠りに沈んでゆきながら、明け方がくるのを待っている。…続き 福岡操体法スタジオ「わたしの寝室の天井は壮大な夜空である-移動式一戸建て気分を味わう-」へジャンプします。
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生きている間のことばかりで思考を制限したくない
2009/10/08(Thu)
何を忙しくしているのかわからないのに気がつくと時間がなくなっているということをよく耳にする。それほどにだいじなことをやっているのかと一つ一つ調べていくと、忙しくするほどのことは何一つない。とかくあくせく過ごしてしまうということであるらしい。
何がだいじなことで何がだいじではないのか。これを決めるのがまたむずかしい。
「勉強はだいじ」という。「勉強ができる」というのは「あたまのよさ」や「判断力の的確さ」さらには「人格」への信頼さえ証明してくれるものらしい。社会一般ではそうなっている。
勉強ができるというだけの理由で東大の医学部を受験するという話はよく聞く。本人が医学に関心があるとか、いのちのことに関心があるとか、そういうことではない。これだけ勉強できるのなら東大医学部も夢じゃないという周囲の流れに乗っている。そう説明された。

受験やテスト勉強は、非常に小さく限定された世界の、限定された期間にだけはばをきかせるものである。受験については私は個別指導で長くやっていたが、受験勉強を教えることについて困ったためしがなかった。受験の指導ほどラクなことはない。まず期間限定。受験は短期的な視野で割り切ることでうまくいく。また受験とは水戸黄門の印籠のようなもので、進学先に迷うことはあっても受験そのものについては疑問がない。いや進学先さえ東大か京大あたりが最高とされ、そこに疑いをさしはさむ人は少ないだろう。少なくとも受験関係者の中にはそんなことをする人はいない。疑問を捨てた者だけが受験に集まってくる。そして正解のない受験問題はない。時間も労力も小さくおさえて正解にたどりつくのがよい。できることなら内容の理解などという面倒なことは抜きに条件反射で正解が出せればそれが一番都合がいい。これらの思考パターンは勉強がデキる人だけでなく、デキない人にもしっかり身につけられている。

『ブッダのことば』(岩波文庫)に書かれてあることは、視野を生きている期間に限定せず、死んだあとのことまで含められた壮大なものである。それが何より自由である。にんげんの勉強、たましいの勉強がしたい。自分にはそれをする必要があると、最近はとみにそういう気持ちになる。受験の世界に長くいすぎたのかもしれない。「とりあえず今だけは」といった期間限定をとっぱらってものごとを考えていくと、だれもが直面する課題の一つとして生き死にの問題、ブッダの指摘する「生・老・病・死」にたどりつく。生きるうえでの基本は万物流転、諸行無常だ。そこを中心にすえて考えていくと、何が自分の信じるに値するものなのかは決めつけるわけにはいかなくなる。正解は、おそらくない、だろう。あったと思っても、次の瞬間にはそれが正解ではなくなっている。そのようなつかみどころのないようなものを、それでもつねに手探りしてやまない、それが生きる営みということであるのかもしれない。
生きものについての思考は、テスト形式でつちかう思考パターンでたちうちできない。だから「いい学校、いい会社」で優秀もしくはふつうでやってこれた時期が長いほど、生きものの世界についてはかえってものわかりがわるくなるという落とし穴がある。そういうこともいえるのではないかと思う。
幼少時から青年期の時期をテスト勉強の繰り返しで過ごしてきた可能性のある職業として、教師と医者がある。生き死ににかかわる問題に対して、テスト問題で正解を出す力では何の役にも立たないのであるが、それが一般には「あたまのよさ」「判断力の的確さ」を示すモノサシとしてはばをきかせ、権威を大きく裏打ちさえしている。そのことをよく考えて見直す必要もあるのではないかと思っている。
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海も山も一人ではくつろいで過ごすことができなかった
2009/10/05(Mon)
誰もいないキャンプ場で一夜を過ごす。ブルーシートの上に大の字になる。シュラフにくるまることもある。そうやって決して自分の手の届くことのない夜空の星や月を眺めることもなく眺める。風がわたる。虫の声がかすかに運ばれてくる。寝ぼけでもしたのか、鳥たちが林の中でグルルルルと鳴く。雨の日はテントの中で過ごす。テントごと雨風を受けながらただひたすらに眠っている。体ぜんたい丸ごと雨の音につつまれて大安心を得る。そんなことが先月から生活の一部になっているのが自分でも信じられない。…続き 福岡操体法スタジオ「テントごと背中に雨風を受けながらひたすらに眠っている」へジャンプします。
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私の体は医者のいいつけよりも自然のいいつけのほうをよくきく
2009/10/01(Thu)
病気の人を見ていて不思議なのは薬や手術などの医療技術や保険はどうかといった医療制度についてはさかんに話をするのに、肝心の自然界のきまりについては一言も述べようとはしないということだ。
自分の体は薬や手術のいうことをきくものだと信じて疑わず、どこかに何かいい治療法はないかと忙しく勉強するのもわからないではない。しかし病気の体は自然法則がもたらした結果にすぎない。人間の身体は明らかにお医者や病院の方針や政府の医療制度よりも自然界の法則をずっと守ってきたのだし、これからもずっと守っていくことだろう。
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