ゆっくりと目覚める。 |
2009/09/30(Wed)
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「大切なことが目の前にあっても気がつかない」とはよく言うが、操体法を通じて見えてくる体の不思議について私は二十年近く気がつかなかったし、気がついた目覚めたと言っている今まさにこのときも寝ぼけ眼で目の前の重大なことに気がつかないままであるような気がしてならない…続き 福岡操体法スタジオ「『治してもらおう』と『自分で這いあがって行こう』との間に横たわるもの」へジャンプします。
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エコナ→食品の「機能性」→良質な食べものとは |
2009/09/20(Sun)
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エコナのようなものが食べものとして適当なものかどうかが、わからない。「体に吸収されにくい」という機能に価値が認められただけで、食べものとして質がよいのかよくないのかはわからないのだ。
食べものは新鮮さがだいじである。食べものは生きものだから時間の経過とともに劣化していく。よい食べものの条件は他にもいろいろとある。どんな土地でとれたものか、土壌にも大きく関わりがあるだろう。そういう食べものの見方と、エコナのような「機能」に着目した見方とが、どこでどう関係しているのだろうか。 …続き 福岡操体法スタジオ「発ガン性はさておき、油としての品質はどうなのか」 |
エコナ問題から見えてくる、食べものの見方・考え方 |
2009/09/19(Sat)
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食べものを機能で見ていけば未来食は錠剤か粉薬に行き着く運命だ。カロリーも栄養素も「普通食」より完全だし吸収もよくて理想的。そんなイメージが社会全体で無理なく共有できてしまうところに注目したい。
人体は自然そのものだから、化学工業的なものが体によいはずがない。単純な話ではあるのだけれど、食べものにいろいろリクツをつけていって難しい話にしたのが特定保健用食品「トクホ」である。 …続き 福岡操体法スタジオ「それでもまだトクホを食べたいと思うか(エコナから見えるトクホの問題)」 |
健康によいエコナが発ガン性危険物質になる日 |
2009/09/18(Fri)
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古ければ古いものほど長い歴史の中で安全が確認されている。健康食品は全てが新しく、実験段階である。健康志向の落とし穴はここにある。 …続き 福岡操体法スタジオ「健康によい食用油が発ガン危険物質あつかいになる日」
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私のあずかり知らぬところで私は生まれて生きて死ぬ |
2009/09/16(Wed)
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秋の空は遠くにあってもんくなしに美しい。誰が見てても見ていなくても夕日は空を染め上げてこの一日の終わりを飾る。広いキャンプ場の原っぱにブルーシートを敷いて、寝転がったり本を読んだりそこらを歩き回ったりして過ごす。…続き 福岡操体法スタジオ「私のあずかり知らぬところで私は生まれて生きて死んでゆく」
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自分の体もわからない人に他人の体がどの位わかるのか |
2009/09/10(Thu)
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生きていれば病気やケガ、老化や死をまぬがれることはない。医者にまかせて安心かというと、自分で自分の体がわからないという不安がいつもつきまとう。
自分の体のことは医者がわかってくれているから安心という人もいるかもしれない。しかし家庭用医学大辞典『大安心』には安心できそうにない内容がいくつも掲載されている。分野別のプロの医師の談話もその一つである。 自分が病気したら薬は使いません。病気のほんとうの経過が薬のせいでわからなくなるからです。経過がわからなくなればどう対処したらいいのか、わからなくなります。 それではどうして患者さんに薬を使うのですかという質問に、「他人の体のことはわからないからだ」という。 自分は薬を使わないできたから自分の体のことはだいたいわかるが、他人の体となると、わかりません。だから薬を使わないと自分も不安だし患者さんも不安でしょう …続き 福岡操体法スタジオ「公衆衛生という形で他人に管理される私の血液成分」へジャンプします。 |
口はタテ3.5センチ開けば公的には「正常範囲」なのですと言われても… |
2009/09/04(Fri)
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事故にあった瞬間から、心身の不調はすべて「事故によるものか」「事故とは無関係のものなのか」の区別をせまられる。また、心身の故障がどうなったときに「治った」「回復した」といえるのか、そういう判断もせまられることになるのであるが、これがそうカンタンにはいかない。むしろ本来不可能なことを無理矢理にでもやらなければならなくなるのである。
追突を受けて口が開かなくなったのを口腔外科で診てもらえというので行くと、タテ3,5センチぎりぎり正常範囲ですと静かに申し渡され、目がテンになった。それは「食べ物が入れられる口の大きさだから」だそうだ。事故による心身の不調についてはなかなか難しい面があるということを、この時点の私はまだよくわかっていなかった。 事故にあえば警察に届けを出すのに病院へ行って診断書をもらってこいということを告げられる。病院では「事故の被害者は事故によってこのような症状を引き起こした」という記録をとり、診断書を作成する。そして病院は保険会社の損害補償の制度を相当意識しながら治療をすすめていく。 福岡操体法スタジオ「調子がいいときの自分の体もぜひチェックしておきたい」へジャンプします。 |
カンタンなはずだった軽い追突事故に手こずる |
2009/09/02(Wed)
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事故から足掛け三年。長かった。人並みにもがき苦しんだ。どんな立派なことを言ってても人間弱いもんだ。しかし弱いくせにしぶとい。強いもんだとも思う。
山歩きは私にとって自分の掛け値なしの力を確認する場だ。自分の体に負荷をかけた上で自分の気持ちをゆさぶる。身体的なものであると同時に心理的な活動でもある。その価値はエベレストだろうと近所の低山であろうとどっちが上ということはない。そこでの行いが自分にとってどういう体験になったかということだけを見ていればいい。 「事故をきっかけに力試しの山歩きは終わりを告げました」へジャンプします。 「生きている限り『今の自分』が一番めぐまれている自分だと信じて」へジャンプします。 |
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