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人生最初の十五年に牛乳をがぶ飲みしたことを後悔する
2009/05/20(Wed)
背が高くなるためではなかった。おぎゃあと生まれた直後から人間のお乳ではなく牛のお乳を飲んできた。私の乳母は牛なのである。乳母の悪口を言いたくはないが生まれてから義務教育を終えるまでの十五年のあいだ、乳母のおっぱいを一日たりとも離さず、しこたまむさぼってきたことには、どれだけ後悔しても後悔しきれないのも事実である。
牛乳を飲み続けた十五年間、大病院の検査や薬のご厄介になってばかりの日々だった。とつぜん不快な感覚がぞわぞわぞわっと沸き起こり、不気味なものがぞろぞろと這い出してくるのが私のからだというものだった。肌一面にばらまかれた赤い斑点やじんましん、止まることを知らない鼻血などはまだいいほう。頭痛貧血めまいにのぼせに神経痛。刺すような胸の痛み。激しいアレルギー鼻炎に激しいアトピー皮膚炎。なんでもござれだ。検査すると何でもないことも多かったが感染症やカビなどもあった。さあ今度は何が飛び出してくるか。恐怖でおののきながらこれは天罰にちがいないと思った。「ごめんなさいごめんなさい神さま仏さま、まったくわたしがわるうございました。こころを入れかえますおゆるしください」などとわけもわからず祈り続けていたのを思い出す。
たまたま十五歳のときに私は単身で家を出た。それをきっかけに牛乳を口にしなくなったのは不幸中の幸いだった。学校もろくろく通えなかった私がいきなり朝から立ち仕事を始め、病院に行くこともなくなった。それきり牛乳のことも体調不良のこともすっかり忘れてしまった。生家の冷蔵庫に常備されていた大量の牛乳。ものさびしいとき手を伸ばせばいつも触れられる乳母のおっぱいのようなものだった。外に出て自立すれば必要のない存在だったのかもしれない。いや、一生に飲めるだけの量を、飲みつくしたということだったのかもしれない。

牛乳の持つ危険について本を出すのは、とくにアメリカでは相当な身の危険を覚悟しなければならないようだ。アメリカの牧畜業者の持つ政治的な圧力は、日本人の私には想像もつかないが、『牛乳は危険がいっぱい』という本がアメリカ人の手で書かれたということに私は関心を持ち、手に取った。そこに書かれた内容が本当のことであるかどうかは、読者の一人ひとりが判断すればいい。私にはそんなことを思うよゆうはなかった。そこには私の人生最初の十五年のことをまるで見ていたように書かれてあった。自分にここまでぴたりあてはまることが一般にもあてはまるかどうかなど、検討している場合ではないような、切羽詰った気持ちがした。
私は「牛乳貧血」という言葉を思い出していた。栄養学をやった人なら知っているだろう。栄養学の教科書には牛乳を与えすぎると牛乳貧血になるから与えすぎないようにと記述がある。また、牛乳と卵は与える時期をまちがえないように、ともある。「与え方にはじゅうぶん気をつける」という記述が繰り返し出てくるような、それほど気をつけておかなければならないものを、危険をおかしてまで食べたいという人はいるだろうか。いや、ほとんどの人はそんな危険をおかしているとは知らずに日々口にしているはずなのである。
私の時代に出荷されていた牛乳にはまた別の問題もあった。今の市場に出そうとすれば検査で引っかかるくらいの濃厚な水銀農薬に汚染されていたのである。その記述を『複合汚染』の中に見つけたとき、胸が悪くなったのを覚えている。

こんなに食べものには気を使ってきたのに。
十八歳以来、ほぼ三十年のあいだ、肉卵牛乳とそれに関連する製品は口にしていない。砂糖関連も排除してきた。「食べなくても大丈夫じゃないか」というより、「食べないほうが大丈夫なんだ」という確信を体験から得られた。それと同時に化学合成物質を生活の中から一つひとつ排除していった。気にせずに過ごしているとそうした類いのものはいくらでも集まってくる。危険を回避しようと思ってやっているのではない。「自分だけが安全」ということはありえないと思っている。「安全」「安心」のためにやっきになっているのではないが、高をくくって「これくらいならいいだろう」と購入してみると、部屋に置いたとたんに目がチカチカする、頭痛が起こる、息が苦しいなどの微症状に気づく。慣れるだろう、と放っておくが、そのうち返品である。相手方にも迷惑をかけるので、一般の市販のものからはいつの間にか遠ざかっている。
私の人生の最初の十五年のことは時々思い出される。取り返しのつかない十五年。失われた十五年。今の自分から見ればぞっとするようなひどい生活であったが、自分なりに犠牲をはらって得た貴重な体験であるのも確かである。人類がいまだ進化の途上にあり、不完全で未熟な存在である限り、人間のつくる社会に不完全で未熟な面が多々あるのも致し方のないことだ。その不完全で未熟な社会で日常を送るしかない身としては、日々の生活や情報の中にとんでもない危険が入り込んでいることも当然と心得ておかなければなるまい。健康界の大スターともてはやされる牛乳も、そうした社会を構成するアイテムの一つにすぎないとなれば、ダークサイドを抱えた、とんでもないシロモノだったとしても何の不思議もない。昔の日本人のほうが病気は少なく元気であったというが昔の人は牛乳など飲んでいない。あとは各人がじっさいに自分の体で実験してみて確かめるほかは、ない。







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