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感覚が鈍くなってはたらかなくなるとき
2009/05/29(Fri)
水に入れたカエルをゆっくりとあたためていくと死ぬまで気がつかないという。出ようと思えばいつでも出られる。手を伸ばせばすぐのところにふちはある。
しかしいつまでも鍋の中でカエルはスーイスイと泳いでいる。鍋をゆっくりゆっくりあたためていくと水もゆっくりゆっくりあたたまってゆく。鍋の水はたっぷりとしていて、出ようと思えばいつでも出られるところに鍋のふちは、ある。すぐ目の前にあるふちに手をかければ、すぐに、出られる。カンタンなことだ。

有名なゆでガエルの話である。鍋はゆっくりあたたまっていく。カエルはすいすい泳ぎつづける。水があたたまっていくことに、カエルはどのくらい気づいているのか、その表情やしぐさからはうかがい知ることはできない。そのうち水の表面からもわもわと白いものがわいてくる。だいじょうぶなんだろうかと思うが、あわてた様子もないし鍋から出てこようともしない。本人がああしているんだからだいじょうぶなんだろうなあなどと思ううち、はたしてカエルの動きはとまる。引き上げてみると息もたえだえである。これでは助かるはずも、ない。

「死ぬまでわからないものだろうか、あきれるなあ」。ゆっくりではなく、さっと加熱されれば、カエルはびっくりして飛び出してくる。大きな変化には気がついて命は助かるのである。しかし、ごくごく小さな変化の積み重ねには気づかない。気がついていても無視できるくらいの変化だから「このくらいだいじょうぶ」「次もきっとだいじょうぶ」と無視をかさねるうちに、感覚もはたらかなくなってくる。小さな変化は見落とされ、ないことになってしまう。感覚がだまされて鈍くなり、ついに反応しなくなると、かえって「調子がもどった」「よくなった」などと安心をして深みにはまっていく。慢性病のおそろしさは、まさにここにある。病気そのものよりも、感覚の働かなくなることのほうが、よっぽど重大である。そして突然に「急にわるくなった」とあわてる日もくるのだが、急にわるくなるなどということは、まずありえないわけで、たくさんの見落としをして、「だいじょうぶだ」とカンちがいをしたまま時を過ごしてきたということ。気がついたときにあわてて病院にかけこむようでは、もはや手遅れ。死にはしないまでも、きちんと回復するにはいたらない段階であることが多い。

出ようと思えば、いつでも出られる。手を伸ばせばカンタンに出られるところに鍋のふちは、ある。出ることじたいは、ひょいと一またぎで済むことだが、じっさいに鍋から飛び出してくるのは、ごくわずか。ほんの一部だと思っていい。
私たちは、大きな、大きな鍋の中で泳ぎつづけている。じゅうぶんに間に合うタイミングで、「ああ、もうガマンできない。なんてあついんだ、ここは!」と気がつく感覚が、命を救う。そうやって飛び出してくる数が、少しでも増えることをわたしは願う。
そういうわたし自身は、どうなんだろう。加熱していく鍋からきちんと飛び出せているのだろうか。
それはわからない。ふちに手をかけたまま、のんきにも「まだあと少しならだいじょうぶ。このぬるま湯に浸っておくのもわるくはない」などと思案している最中なのかもしれない。周囲を見渡せば、気を失いかけたのや、すでに意識のないようなのがふちにいっぱい集まっている。いいセンまで行きかけて途中で力尽きたとでもいうか、そんなふうなのもじつに多い。本人だって、そうなるとは夢にも思わなかっただろう。
生きるということは、ときには目の前の鍋のふちを思い切ってエイヤっと飛び出すことなのかもしれない。エイヤっと飛び出して、どこに行くのか。気がつくと、またまた新たな別の鍋の中で泳いでいるのかもしれない。目の前に「ふち」があるので手を伸ばしてみたところ、気づかないうちにエイヤとふたたび鍋から飛び出していた。そういうことも、あるのかもしれない。
鍋の中の水があつくなるのは、自分のせいもあるかもしれない。自分が泳ぐうちに自分でぬるま湯にしてしまう。気がついたときには、また「ふち」に手をかけて、エイヤとまたげば、いい。エイヤっ、エイヤっ、ヤっとこさ。

都会の生活は太陽を見失い、季節を失った生活である。たとえば稲作をする生活だと、太陽の運行は作業の節目となり、生活の節目となる。竹に節がいくつもあるように、一年という時間にもかならず区切りがあって、大きな作業や祭りのたびに、節目は意識され、生活の見直しや命の再生や、あの世だとかに、意識を運んでいくきっかけになるのではないかと思われる。
都会の生活は、太陽がどこにあろうとなかろうと同じように過ごすべし。夜中に外を出歩いていても、犯罪などに巻き込まれさえしなければ「別にいいじゃん」。いつ、どこで、何をしようと「自分の勝手」「気分しだい」である。そういう意味では都会の生活は自由である。自由はべつにわるいことではないが、しぜんのルールをやぶりやすい。体は、しぜんのルールについてゆく。あなたの「勝手」にはついていかない。季節を見失い、太陽の運びを無視した生活は、しだいに命がけの様相を呈してくる。「自分勝手な生活」は、各自が命がけでやっているということだ。命が惜しければ、そしてあんまり苦しみたくない場合には、しぜんのルールを見直したらいいよということである。
ごいっしょに、エイヤっと、飛び出してみませんか。
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ふちに手をかけてエイヤっと飛び出してみる
2009/05/29(Fri)
水に入れたカエルをゆっくりとあたためていく。出ようと思えばいつでも出られるくらいのところまで水はあり、ふちは手を伸ばせばすぐのところにある。
鍋の中で、カエルはスーイスイと泳いでいる。
有名なゆでガエルの話である。鍋はゆっくりあたたまっていく。カエルはすいすいと泳ぎつづける。だいじょうぶなんだろうかと思うが、あわてた様子もないし鍋から出てこようともしない。本人がああしているんだからだいじょうぶなんだろうなあなどと思ううち、はたしてカエルの動きはとまる。引き上げてみると息もたえだえである。これでは助かるはずも、ない。

慢性病のおそろしさは、まさにここにある。病気そのものよりも、感覚の働かなくなることのほうが、よっぽど重大である。そして突然に「急にわるくなった」とあわてる日もくるのだが、急にわるくなるなどということは、まずありえないわけで、たくさんの見落としをして、「だいじょうぶだ」とカンちがいをしたまま時を過ごしてきたということ。気がついたときにあわてて病院にかけこむようでは、もはや手遅れ。死にはしないまでも、きちんと回復するにはいたらない段階であることが多い。

出ようと思えば、いつでも出られる。手を伸ばせばカンタンに出られるところに鍋のふちは、ある。出ることじたいは、ひょいと一またぎで済むことだが、じっさいに鍋から飛び出してくるのは、ごくわずか。ほんの一部だと思っていい。
私たちは、大きな、大きな鍋の中で泳ぎつづけている。じゅうぶんに間に合うタイミングで、「ああ、もうガマンできない。なんてあついんだ、ここは!」と気がつく感覚が、命を救う。そうやって飛び出してくる数が、少しでも増えることをわたしは願う。
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さあ、願ってみようか
2009/05/27(Wed)
動物たちの現在の姿は、生きものが三十八億年生きのびてきた結果だ。身についたあらゆるものが生きのびるために必要な戦略なのだといっていい。
私にそなわっている心や意識も、今を生きのびるために必要な戦略であるし武器なのだと考えることができる。

とつぜんだが、神さまが、あなたの目の前にあらわれるのだ。そして「3つだけ、願いをかなえてやろう」と、言う。わたしは何を、願うだろう。一つではない。三つも願いはある。さあ、願ってみよ、と私は自分自身を、けしかける。とまどう自分がいる。尻込みをする自分が、いる。

言わずと知れたフランスのお話である。料理屋を営む夫婦が不平ばかり言って暮らしているところに、あらわれるのである。「3つの願いをかなえてやる。どうしたいのか?」と。
不満をあげつらうのには威勢のよかった夫婦が、いざ、こう問われたとたんにおろおろし始める。あげくの果てには腹がへり、「ソーセージを焼いて食べたい」などと願う始末。願いのムダづかいをしたと言って腹を立てた夫は「ソーセージなんぞ鼻にでもぶらさげりゃいいんだ」と願ってしまう。
この人たちは、なぜこんなにあわてなければならなかったのだろうか。

「どうせなんにもうまくいかないんだから、あわてることもないさ」
不平不満を言っているあいだはゆうゆうとしていられる。ほんとうに何をやってもダメならば、考えてもムダ。何をしたってムダというのがリクツである。グチをこぼしながらあんがい満ち足りた様子である人などは、私の周りにいくらでもいる。
料理屋の夫婦は「さあ願ってください。願えばなんでも実現しますよ」の一言で、「そうか、おれらも何かしらうまくいくかもしれない」と気づき、あわてはじめたのだと推測される。「もしかして、自分にも何かできるんじゃないか」と思うときの、あのワクワクした感じが私は好きだ。その「何か」の中味には、それほど私はこだわらない。はたから見れば他人の願いなど、ほとんど無意味であろうから、自分の思う願いなどもそうそう大したもののはずはないのだ。しかし本人が願うからこそ、その願いには価値がある。願いは、願うもの。願いの本質は、そこにあるのだとも思う。

子どものころ、この話を聞くたびに、ソーセージにまつわる食欲と憎しみに振り回されるこの夫婦のことをバカにした。「腹が減ったからソーセージを食べたい」だとか、「お前のバカ面の鼻にはソーセージをぶら下げるのがお似合いだ」などという願いには、自分は決して振り回されはしない、と。
しかし、どううまく立ち回ったところで、結果は似たり寄ったりになりそうな気がしてくるのである。それに、このどたばたの騒ぎのあと、料理屋夫婦はすっかり変わった。お互いを責めあって後悔にくれるなどということはなく、日々気持ちよく過ごすことができたのだ。それを考えると、バカにされ笑いものにされてきた彼らだが、実はじゅうぶん賢かったのではないかと思えてくる。
願いは3つもいらない。
そんなことに思い至ったのかもしれないと私は想像する。「願いは一つだ。一つだけで、じゅうぶんだ」
願いごとを考え抜いて、3つもバカなお願いをして、おろおろオタオタしたあげくに、わかったこと。
「なあんだ。自分たちはただ『しあわせになりたい』って願っているだけじゃないか」と気がついた。そういうことではなかったろうか。

神さまは日々すでに私たちの目の前にあらわれている。そして「3つだけ、願いをかなえてやろう」と言い続けている。姿がみえないとか声がきこえないとかいう、さまつなことはどうでもよろしい。そんなことは神においては不思議でもめずらしくもないことである。重要なことは、神はじっと待っているということだ。
神さまは、じっと待っている。さあ、何を願おうか。願えばなんでも実現する。
願うということは、意識をするということ。意識をすれば、とうぜん変わる。それが、生きのびるための戦略として備わった、私たちの意識のはたらき、心のはたらきである。
さあ、願ってみよ。わたしはどうすればいいのだろうか。わたしはどうなればいいというのだろうか。
私はいったい、何を願っているのか。自分自身に、いつも問い続ける。
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生きものとしての私の体の基礎をつくっているものは
2009/05/22(Fri)
生きものとしてのわたしの体の基礎をつくっているのは、[   ]である。

今からおよそ三十八億年まえ、地上にあらわれたばかりの生きものには骨格などなく、それから二十八億年ほど経過しても、生きものは骨格なしで暮らしていたとされる。生きものが爆発的に多様化したのは今から六億年前のことで、そのときに骨をよろいとして身にまとう、外骨格の生きものがあらわれた。生きものがあらわれてから、すでに三十二億年もの歳月が流れている。

骨格を持つ生きものは体の外を覆う外骨格の生物と、体の内部を骨と筋肉とで組み立てている内骨格の生きものとに分かれている。
背骨を持っているか持っていないかで、無セキツイ動物と、セキツイ動物といった区別もできる。
セキツイ動物は脳と脊髄の区別がハッキリしていて、体の内部の骨格も発達をしているのだと、生物の教科書に書いてある。
骨がからだをつくり、また筋肉(骨格筋)がからだをつくり、支えている。骨と筋肉とが手に手をとって協調しあうことで、動いて活動している。そういう生きものなのだ、わたしというのは。

「人類は骨格を基礎体形とする生物である」という一文に引っかかった。『誰にもわかる操体法の医学』のページの中で見つけ、ナットクしたいと思った。生きものの登場から「背骨」を獲得するまでの流れまでイメージが及ぶにいたってはじめて、「人類は骨格を基礎形体とする」という一文にナットクがいくように思われたのだった。
ここであらためて、内骨格(背骨)にたよらずに生きているものたちの動きを、思う。
きゅっと縮んだり、すらーっと伸びたりする、イカの足。呼吸のたびに丸い傘を開いたり閉じたりさせながら海中にただようクラゲたち。そして外骨格のエビやカニが歩く様子や甲虫たちのいかつい動き。
それから背骨を得た魚たちや両生類、ハ虫類の動き。いつも体にぬくもりを宿す鳥たち、そして哺乳類の動き、人間のさまざまな、動き。

人類は、骨格を基礎体形とする動物である。
解剖学で、筋肉の名称や骨の名称をこまかに暗記し、内臓や主な血管と神経の名称をおぼえるのも大切なことなのだろうが、それは生きたイカを知るために「スルメの研究」が、生きたカツオの生態を知るのに「カツオブシもしくは花カツオを研究」がなされたようなものだったとの指摘もある。
生きて動くことが、その本質である人間のからだについては、「静」と「動」の両面において「生理学、病理学、さらに進んで治療学が研究されなければならない」という指摘が「日本医事新報」に掲載されてから、すでに半世紀以上の時が過ぎ去った。
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私には神経がある植物には神経がない。その理由は
2009/05/21(Thu)
「脳ブームの本が面白い」とワークショップで話題になり、動物はなぜ神経を持っているのか、ホルモン分泌系と神経系の関わりなどについて一緒に考えたことであった。

約三十五億年前に生きものが地球上にあらわれたとき、それは単細胞だった。
しかしその後、約二十三億年もの歳月が経ったころに、単細胞が互いに同居して多細胞となる生物があらわれたのだという。
この多細胞生物が、植物と動物のご先祖で、ここから先が神経を持つものと持たぬものとの分かれ道となった。
植物のほうは、日光浴をしていさえすれば満腹するという光合成で生きていく。
動物のほうは、自分で動いて食べものを求めるというやり方で生きていく。
自分で動くから「動」物。動かないものは動物ではない。動物と命名されたゆえんはそういうリクツである。
「動く」というところから、やがて筋肉細胞が発達し、たくさんの筋肉細胞どうしが「せーの」と掛け声をかけあって統率された動きを実現するために、互いの情報をやりとりするための電線が細胞と細胞とを結びつけ、全身に張り巡らされた。それが神経なのだという。

筋肉による運動をきちんと統制する。細胞どうしがバラバラでなく関連しあい、連動して効率よく動いていけるように、神経が働く。
交通事故で外傷はどこにもないというのにリハビリに苦労するという場合も少なくない。自分の手足が勝手に動いてきちんと物が握れないということもある。人体の骨格図、筋肉の図、そして内臓の図を眺めてみる。骨格や筋肉や内臓がただあるだけでは生命活動は起こらない。
神経というものがいかに細胞どうしを結びつけ、生きていくのに必要な活動を細胞どうしの連携プレーとして実現させているか。手足の動きだけではない。胃や腸といった消化管も筋肉細胞が集まった管であり器官であり、私たちが起きているときも眠っているときも、神経ネットワークの働きによる筋肉運動を続けている。生きるということはたゆまなく動く、動き続けるということなのだ。

高校の生物の参考書や保健体育の教科書も、テストに出るところを丸暗記して済ませていたのが、テーマを持って眺めてみると自分自身の日常のこととして生き生きと感じられてくる。結局、私たちは脳のところまで行き着くことはなかった。脳にたどりつくまでにはまだまだ時間がかかりそうなのである。しかしテストではないので締め切りにも範囲限定にもしばられることはない。好奇心のおもむくままに広がりや深まりを楽しみながら続けていこうと思う。
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人生最初の十五年に牛乳をがぶ飲みしたことを後悔する
2009/05/20(Wed)
背が高くなるためではなかった。おぎゃあと生まれた直後から人間のお乳ではなく牛のお乳を飲んできた。私の乳母は牛なのである。乳母の悪口を言いたくはないが生まれてから義務教育を終えるまでの十五年のあいだ、乳母のおっぱいを一日たりとも離さず、しこたまむさぼってきたことには、どれだけ後悔しても後悔しきれないのも事実である。
牛乳を飲み続けた十五年間、大病院の検査や薬のご厄介になってばかりの日々だった。とつぜん不快な感覚がぞわぞわぞわっと沸き起こり、不気味なものがぞろぞろと這い出してくるのが私のからだというものだった。肌一面にばらまかれた赤い斑点やじんましん、止まることを知らない鼻血などはまだいいほう。頭痛貧血めまいにのぼせに神経痛。刺すような胸の痛み。激しいアレルギー鼻炎に激しいアトピー皮膚炎。なんでもござれだ。検査すると何でもないことも多かったが感染症やカビなどもあった。さあ今度は何が飛び出してくるか。恐怖でおののきながらこれは天罰にちがいないと思った。「ごめんなさいごめんなさい神さま仏さま、まったくわたしがわるうございました。こころを入れかえますおゆるしください」などとわけもわからず祈り続けていたのを思い出す。
たまたま十五歳のときに私は単身で家を出た。それをきっかけに牛乳を口にしなくなったのは不幸中の幸いだった。学校もろくろく通えなかった私がいきなり朝から立ち仕事を始め、病院に行くこともなくなった。それきり牛乳のことも体調不良のこともすっかり忘れてしまった。生家の冷蔵庫に常備されていた大量の牛乳。ものさびしいとき手を伸ばせばいつも触れられる乳母のおっぱいのようなものだった。外に出て自立すれば必要のない存在だったのかもしれない。いや、一生に飲めるだけの量を、飲みつくしたということだったのかもしれない。

牛乳の持つ危険について本を出すのは、とくにアメリカでは相当な身の危険を覚悟しなければならないようだ。アメリカの牧畜業者の持つ政治的な圧力は、日本人の私には想像もつかないが、『牛乳は危険がいっぱい』という本がアメリカ人の手で書かれたということに私は関心を持ち、手に取った。そこに書かれた内容が本当のことであるかどうかは、読者の一人ひとりが判断すればいい。私にはそんなことを思うよゆうはなかった。そこには私の人生最初の十五年のことをまるで見ていたように書かれてあった。自分にここまでぴたりあてはまることが一般にもあてはまるかどうかなど、検討している場合ではないような、切羽詰った気持ちがした。
私は「牛乳貧血」という言葉を思い出していた。栄養学をやった人なら知っているだろう。栄養学の教科書には牛乳を与えすぎると牛乳貧血になるから与えすぎないようにと記述がある。また、牛乳と卵は与える時期をまちがえないように、ともある。「与え方にはじゅうぶん気をつける」という記述が繰り返し出てくるような、それほど気をつけておかなければならないものを、危険をおかしてまで食べたいという人はいるだろうか。いや、ほとんどの人はそんな危険をおかしているとは知らずに日々口にしているはずなのである。
私の時代に出荷されていた牛乳にはまた別の問題もあった。今の市場に出そうとすれば検査で引っかかるくらいの濃厚な水銀農薬に汚染されていたのである。その記述を『複合汚染』の中に見つけたとき、胸が悪くなったのを覚えている。

こんなに食べものには気を使ってきたのに。
十八歳以来、ほぼ三十年のあいだ、肉卵牛乳とそれに関連する製品は口にしていない。砂糖関連も排除してきた。「食べなくても大丈夫じゃないか」というより、「食べないほうが大丈夫なんだ」という確信を体験から得られた。それと同時に化学合成物質を生活の中から一つひとつ排除していった。気にせずに過ごしているとそうした類いのものはいくらでも集まってくる。危険を回避しようと思ってやっているのではない。「自分だけが安全」ということはありえないと思っている。「安全」「安心」のためにやっきになっているのではないが、高をくくって「これくらいならいいだろう」と購入してみると、部屋に置いたとたんに目がチカチカする、頭痛が起こる、息が苦しいなどの微症状に気づく。慣れるだろう、と放っておくが、そのうち返品である。相手方にも迷惑をかけるので、一般の市販のものからはいつの間にか遠ざかっている。
私の人生の最初の十五年のことは時々思い出される。取り返しのつかない十五年。失われた十五年。今の自分から見ればぞっとするようなひどい生活であったが、自分なりに犠牲をはらって得た貴重な体験であるのも確かである。人類がいまだ進化の途上にあり、不完全で未熟な存在である限り、人間のつくる社会に不完全で未熟な面が多々あるのも致し方のないことだ。その不完全で未熟な社会で日常を送るしかない身としては、日々の生活や情報の中にとんでもない危険が入り込んでいることも当然と心得ておかなければなるまい。健康界の大スターともてはやされる牛乳も、そうした社会を構成するアイテムの一つにすぎないとなれば、ダークサイドを抱えた、とんでもないシロモノだったとしても何の不思議もない。昔の日本人のほうが病気は少なく元気であったというが昔の人は牛乳など飲んでいない。あとは各人がじっさいに自分の体で実験してみて確かめるほかは、ない。







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まっすぐにいかないのが人間であるなあ、と大きくため息を、つく
2009/05/12(Tue)
市販の薬であれ病院の薬であれ違法ドラッグの類いであれ、制度上で区別しただけで、身体にとっての化学合成物質という意味では似たり寄ったりではないかと思う。ヤクを断つ苦しみは映画やドラマでなんとなくわかりそうなものだけど、「薬がなくては生きられない」もしくは「その物質が体内にあることがアタリマエ」というサイクルがいったん体にできてしまうと、「薬がなくても大丈夫」「ないのがアタリマエ」のサイクルに戻すのがどれだけの負担と忍耐を要求するものかは、取り組み始めるまでは思いもよらない。それでも薬をやめたいという人はものすごく多くて、それもただむやみにやめたいというのではなくて、薬を続けるうちに各人なりにデメリットが増えてきて、身の危険さえ感じ取り、「これではやめざるを得ないのではないか」という切実な結論に至ったもののように思われる。病気は自分の生活や生き方を見直し、自分自身を見直すチャンスであるとも言われるが、薬でラクをしたぶんの、山のようにたまったツケを文字通りからだで払わされたあと、振り返ってみれば、結局は自分の生活や生き方を手直しさせられている。最初から取り組んでいれば元金だけで済んだようなものであるが、さんざんに利息を払わされたうえ、失ったものも多い。人間、そうそうまっすぐにはいかないものであるなあ、と大きくため息を、つく。
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治療をしてどうなりたいですか?ってきかれたことがないけれど
2009/05/10(Sun)
考えてみればおかしな話だ。治療をして自分はどうなりたいか。それは一人ひとりちがうはずである。しかし私の通院経験では「うちで治療を受けてどうなりたい?」と訊かれたことはない。
もちろん、手術だろうが薬だろうが生活改善であろうが、いかなる治療法も病気をなくし回復するというところにゴールはある。しかし「とにかく痛みをすぐにとりたい」「死にさえしなければ、生きてさえいればいい」「自分の力でふつうに生活できるように」「激しい職務にも耐えられるように」など、考えは人それぞれで、「治療をしてどうなりたいのか」は個人の人生観や生命観とも関わる重要なことがらである。だから治療法にもいろいろあって、自分が求めるものを選び、決め、そして自分の治療にみずから取り組み耐えていくこともできるのだろうに、実際にはそんなことを訊かれることはなく、それどころか、「いったい自分はこの治療を受けていてどうなるんだろう」とか「ここは自分をどうするつもりなんだろうか」などと思いわずらうことさえあるくらいなのだ。
しかしいきなり面とむかって「治療してどうなりたいですか?」と質問されたとき、具体的にハキハキ答えられる人はどのくらいいるだろうか。

「3つの願い」のお話を子どもの頃に知ってから、自分なら何を願うだろうかと折にふれ考える。
料理屋の夫婦の目の前に、突然あらわれた神さまが「3つの願いをかなえてやろう」と言うのである。夫婦はうろたえ、戸惑う。長生きがいい。いや苦労ばかりの長生きじゃ何もならない。金持ちがいい。思案をするうち腹が減り「おいしいソーセージが食べたい!」思わず言ったものだからソーセージがどかっと降ってくる。あわてた夫婦はケンカを始める。売り言葉に買い言葉。「そんなソーセージなど、お前の鼻にくっついてしまえばいい!」夫が叫ぶと奥さんの鼻にソーセージがくっついている。願いはあと一つ。「ソーセージが鼻からはずれますように」。
この夫婦の愚かさはとりもなおさず私自身の愚かさ、誰にでもある愚かさでもある。自分が何を願うことが一番よいことになるのだろうか。そう自分に問いかけるたびに戸惑いを感じないことはない。「3つの願い」のお話が時代をこえて伝わってきた意味はそこにある。

苦しみの中にいるうちは、自分が何を望むのが一番よいことになるかなど、思案するよゆうもないかもしれない。しかし一つの苦しみを乗り越えれば、その先にはさらにまた次の苦しみが待っているというのがこの世の常ではある。「自分はどうなりたいのか」。その問いかけは、いろんな段階ごとにていねいに考えてゆく必要があるのではないだろうか。問い続けることによってはじめて治療法を求め、選び、決めるということが可能になるのではないかと思う。
「治療して自分はどうなりたいか」という質問にハッキリ具体的な返事ができないのは、交番に行って道をたずねるときに「私はどこへ行きたいんでしょうか」と言うのと同じことになる。交番のおまわりさんなら「キミぃ、どこに行きたいかくらいは決めてくれないとこっちも困るよぅ」と言ってくれるかもしれないが、病院のほうは「そうですか。それならこちらで適当にみつくろっておきましょう」というおまかせ治療になるだろう。どこのどんなところに足を運んだかによって、その後の明暗がわかれるのは、こういう場合に起きるものなのかもしれない。そう思う。
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自然が私の中に埋蔵してくれているものを、掛け値なしに体感したい
2009/05/09(Sat)
今年のゴールデンウィークはずいぶん冒険した。かねてより、やりたかったことで、その準備にもずいぶんと時間を費やした。「ずいぶん冒険」の内容を一言でいえば、実験的生活を心ゆくまで送ったということになる。毎朝3時4時にはスカっと目が覚め、徐々に明るさを増していくのにそわそわとし、さあ今日はどこの山を歩こうかとわくわくし、太陽とともに生活をして疲れと不安を知らなかった。生きているというだけが、こんなにうれしい。そういう感覚を味わっていた。スリリングであった。

思えば私の実験的生活のスタートは食へのこだわりだった。桜沢如一の熱烈な文章を、12歳だった私は真に受けた。当時の自分の受け取り方は、こうである。
「正しい食べものを、正しく食べさえすれば、もう毎日が楽しくって楽しくってしかたがない、というようになる。疲れるなんてこともなくなる。睡眠なんて2~3時間もとればいい」
ヨガを知ったのは18歳で、これも私は単純バカ的な受け取り方をした。
「呼吸を、正しくしさえすれば、肉体は強くなり、精神性も高くなる」
食事療法でもヨガでも、ガンなどの難病が治っている人もいるというから、重病人が健康人になるんだったら、この自分がやったらどういうことになるか、期待は大きかった。子どもの思い込みということもあるのだろうが、桜沢如一にしろ佐保田鶴治にせよ、ずいぶんな状態で医者に見離されていたのを起死回生したというので説得力がある。しかし私はどちらもきちんと実行せず、本からの知識で勝手に我流にやっただけだから、期待したようなことは起こらなかった。

橋本敬三の操体法だって、ちゃらんぽらんのいい加減にしかしていない。いや、食事療法やヨガにかけた時間とエネルギーにくらべれば、ゼロに等しいほど努力がない。週に一度、三十分ほど指導を受けるだけの状態がごく最近まで続いていた。しかし結果をみれば操体法から得たことが自分には一番大きかった。有効であった。操体法という健康法が体にいいというようなことではない。ぜんぜんちがう、自分はずいぶん的外れなことを考えていたということを教わったのが大きかった。努力など必要ないのだ。身体には備わっている。じゅうぶんなものが埋蔵されているのだ。今回の実験的生活でその手ごたえを感じることができた。私は従来以上に生き生きと過ごせている。それが唯一の証拠。
いったい、私はなにをしたいんだろうか。
愚行にも似た自分の行動を振り返ってみて、疑問に思う。
私は、自分の心と身体に埋蔵されたものがどんなものであるのかを、掛け値なしで実感したい、体感したいのだろうと思う。ふだんの自分の社会生活ではそれが非常に実感しにくいのだろう。だからそういう気持ちになってしまうんだろうと思う。
マンネリにならずに最後まで生きたい。年を重ねるごとにハードルが高くなっていくように思うのだが、
まだまだ私はイケるようだな。そんな実感をつかんだのが今は単純にうれしいのである。
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