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自然の中で最高に幸せ-体の設計にミスはない-
2016/03/01(Tue)

元のバランスを回復すること。
それは自然の仕事であり、生命の仕事だ。
宇宙の始まりも、生命の始まりも、
全てゆだねられていたことだ。

自然の自在性、生命の自在性に目を向けてみれば、
人間の生きる選択肢というのは、
おのずと幅が決まってくる。
限られているということは必ずしも不幸を意味しない。
迷いもなく恐れもなく、
自然の中で人間は最高に幸せ、
自然はちゃんと生きて死ぬまで、
健康で幸せに過ごせるよう、
さいしょから私たちを設計してくれているという、
橋本敬三医師の遺した言葉の意味のことを、
ここにきて、やっと自分も考えられるようになってきた。(了)


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①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 
※見学・体験受付中。

天神から大牟田線普通電車「高宮」下車徒歩3分。野間四角交差点信号先3つ目のビル。
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バランスを取り戻す生命のはたらきが、いちばんだいじなもの
2016/02/29(Mon)

環境が揺らぐので生命もまた揺らぐのである。
気温は変化し、気圧も変化してやまない。
季節は変化し、食べ物となる植物や動物もまた、
環境に応じて変化している。
ありとあらゆる「変化」という風が、
あらゆる方向から吹いてくる。
だから生命のヤジロベエは絶えず揺れている。
揺れて元のバランスを取り戻すはたらきそのものが、
生きているということなのだ。
いかなる医療技術、科学技術をもってしても、
バランスを回復する生命の働きそのものを、
回復させることはできないし、
そうしようと考えてさえ、いない。(続7)


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環境にあわせ揺らぐ体-健康は心地よい揺らぎ-
2016/02/29(Mon)

自然にさからうのが、
幸福で正しい人間の道なのだろうか。
どれだけ自然にさからえるかが、
人間の実力の指標となるのだろうか。

心臓が止まるなら電気で動かせばいい、
古くなった脚は切って取り替えたらいい、
長いものは縫い縮め、短いものは継ぎ足して、
狭くなったら押し広げ、
どうにもならなくなったら切除、廃棄するという、
強引なやり方がずいぶん幅をきかせてはいないか。
自然回復とか、生命の復元力といった言葉さえ、
忘れ去られてはいないだろうか。
生命とは揺らぎが基本である。
生命は環境に適応しようとするはたらきだ。(続6)


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生命のヤジロベエ-自在に揺れる人体-
2016/02/28(Sun)

いかに手厚く世話を受けたとしても、
生命のはたらきがじゅうぶんでなければ、
さすがのヤジロベエも方向を見いだせず、
元のバランスは失われ、元には戻らない。
糸で支えられたり、強引なやり方で支えてもらったとしても、
元のバランスとは似ても似つかない。
揺れる自在を失ったヤジロベエは、
もはやヤジロベエとは呼べないものなのだ。
自立を失った生命体というのは、もはや時間の問題。
行くところまで行く。
生命体というのは、
あくまで健全な生命のはたらきに依存し、
すべてを自然にゆだねている。(続5)


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生命力のおかげじゃないの? -科学技術の進歩のおかげ?-
2016/02/28(Sun)

自分の体の中で、
どのくらいの揺れが、どのくらいの時間をかけて、
方向が定まってくるか。
揺れがおさまり、いつもの安定を取り戻すのに、
どのくらい待たねばならないか。
自分の体の実力を、そのようにしてつかむ。
そんな指導を受け、そのように実行してきた。

ヘタに手を出してしまうと、
ひとさまのおかげ親切のおかげ、
いたわりのおかげ、手当てのおかげ、
薬のおかげ、科学技術の進歩のおかげっていうことで、
ぜんぶ済まされてしまう。

不思議なことに、
自然のはたらき、生命のはたらきのおかげっていうことには、
決してならないのである。(続4)


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バランスの揺らしかた-健康だって波がある-
2016/02/27(Sat)

回復が遅れて回復しきれないときは、
つとめて山に入るようにする。
わずか一時間そこら歩き回るだけでも、
三日続けたら心持ちがまるで違ってくる。

揺れまくっていた自分の方向が定まってきて、
揺れも落ち着いてくるのが、わかる。
目が回り、くらくらしていた気分もおさまって、
元の自分を取り戻す。やれやれである。

人の手を借りず、薬の手も借りず、
人工的な処置も手当てもいたわりも、できるだけ受けず、
やじろべえを揺れるがままにさせておくように、
自分の体も揺れるがままにさせておく。(続3)


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元に戻ればいい-生きものの本質はヤジロベエ-
2016/02/27(Sat)

ガラス棚で暇を持てあますヤジロベエを、
ひそかに引っ張り出しては遊んだ記憶がある。

こわれやすそうでいて決してこわれない。
いつでもどこでもしっかりバランスを回復する、
この不思議な民芸玩具の手ごたえを、私は楽しんだ。
私は神経質な子といわれていた。
ちょっとしたことに動揺し、ちょっとしたケガで大騒ぎし、
ちょっとしたことで眠れなくなったり、
胃腸の具合がおかしくなったり、
思い詰めたりふさぎこんだり、してしまう。
しかしそんな動揺も、いつかおさまる。
不調もいつか回復し、心も体も修復され、元の通りになる。

ヤジロベエが生きものの本質だということを、
今の私は知っている。(続2)


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揺らぎながら安定する-ヤジロベエのバランス安定術-
2016/02/26(Fri)

ソテツの実で作ったヤジロベエ。
どこをどう突ついても元のバランスにちゃんと戻る。
わざと危険なところに立たせてみたくなる。
どんな高いところ、どんなに小さな足場でも、彼は平気だ。
ちょっとしたことでもすぐ揺れてしまうくせに、
落ちることなく安定している。
揺らぎもまた安定の、一つのあり方なのだ。

体に宿る生命のはたらきもまた、
そのようなものだとは当時思いもしないまま、
子供の私は飽きもせず、
ヤジロベエをさんざん小突きまわして遊んだものだ。(続1)


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健康の、イメージ-思ったとおりになってゆく-
2014/05/04(Sun)
母は朝が苦手で、家事が嫌いで夜更かしで、
だから子供たちもそういう生活になって、
お菓子も食べ放題。
感情的でキレやすく、ふだんはむっつり黙りこくる。

母のつむぎだす生活空間に取り込まれ、
子供たちの表情も母親のを写し取ったようで、
心もちもそんなふうで、
不定愁訴に悩まされ、病院通いが絶えなかった。

「どうして自分はこんなふうだろう」と自己嫌悪に悩み、
「自分はどうなればよいのか」と心に描くとき、
一日元気いっぱい立ち働いて、
冗談言っては周囲を笑わせる祖母の姿が、
目に浮かぶのだった。

短所や欠点もたくさんある人だったが、
それは祖母も母も同じこと。
同じなら、祖母のようにぴんしゃん元気のほうが、
いいに決まってる。

祖母には嫌われたけれども、
おかげで、健康に何を望めばよいかという基本を、
学ぶことができたのだ。
あの祖母がいなければ、
健康の具体的なイメージはつかめなかった。

ほんとうに健康にめぐまれた人で、
百歳を越えて長生きしたが、
ちょっとした事故で腰をやられて以来、
腰痛に悩み、年月が経つうちに動けなくなった。
腰は、「人体のかなめなのだ」ということも、
身をもって教えてもらった。

かえすがえすもありがたいことだと、思っている。(了)

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操体法講座(グループ実習)のお知らせ
※5月のご案内  ゴールデンウィークも通常通りです(ご予約お願いします)。
※操体法実習の日程
5月10日(土)15時~
5月21日(水)14時半~
5月24日(土)14時半~
5月31日(土)14時半~
その他の日程についてはお問合せください。(080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に)

※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎。(参加費二千円)

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健康に、望むこと-自分の未来予想像-
2014/05/03(Sat)
体がかろやかで、愉快である。
心も体も、疲れを知らない。
困難にも気持ちが折れず、冷静に対処できる。
忍耐があって、ねばりづよい。

ばくぜんとしたイメージであるが、
虚弱体質といわれていた子供時代に思い描く未来予想は、
そんな境地にある自分だった。

その原型は、頑健で豪快な、父方の祖母にある。
母が入院で家を空けたときに、来てくれた。

朝暗いうちから床を抜けだして、
家の掃除、庭の手入れ、何から何までよく立ち働いた。

私たち孫は、びっくりした。
こんなに働く人は見たことがない。
働き者の祖母は、母をなまけものと言い、
虚弱な子供も嫌いだと言い、
うじうじしている私なども、ハッキリ嫌いと言い渡されたが、
それでもお手伝いが楽しくて、
以来、私は家事というものが好きになったのだ。(続)

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生きるのに役立つ体力-年をとるほど笑顔が増える-
2013/05/06(Mon)
走るのが速いとか、重いものが持てるとか、そういうので計ることのできない体力がある。
百メートル何秒で走れたら病気にならないとか、何キロの物を持ち上げたら元気になれるとか、そういう保証は一切ない。むしろマラソンや重量挙げをすることで、損なわれる健康だって、ないとはいえない。マラソンも、重量挙げも、したい人はすればよいし、したくない人はしなくていい。だから走ったり飛びはねたりする体力テストなど、必ずしも健康の役に立つとは限らない。

自分の、自分なりの元気を改善、もしくは更新する。より自分らしい毎日を過ごす。
生きている間は、元気を更新する可能性を失わず、末広がりでやっていきたい。
年をとるにつれて病気が多くなるというのはデータの話。一人一人の人間の状況を見ない、抽象的な数字だ。「現代日本の社会全体が、年をとると病気が増える生きかたを、主流としている」という警告にはなっても、生物学的に人間が、年をとるにつれ、たくさん病気にかかるようにできているということではない。


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母も私も病気退治の末に、検査や薬や手術で体をこわしてしまった。病気そのものだって退治できはしなかったが、こわした体の修理と回復には長い年月を費やした。考えてみればバカらしい話だ。
「もう自分でやるしかないよね」と操体法を続けていって、母は八十代に突入してもいまだに元気の更新を実感する。六十代の時よりも、七十代の時よりも、さらに八十代で笑顔の多い毎日というのは、思えばすごいことである。
「年をとったら当たり前」は、当たり前でない話をたくさん含んでいる。
八十代は八十代の、九十には九十の、百歳には百歳なりの元気と健康を、自然は用意してくれているのだから、そう悲観することもない。
健康は考えるものでもなければ、苦労してこしらえるものでもない。もともと自然が与えてくれる、楽しみ味わう贈り物なのだ。

やっていることは、見てもらうとわかるように、べつに大したことではない。むしろ誰もが驚きを通りこしてガッカリするだろう。「たったこんなことで、ですか?」と、たいていは半信半疑である。八十歳のおばあさんでも苦にならず、ずぼらな私だって朝晩続けられるくらいの、カンタンなことだ。
カンタンだからこそ、じつは続けるのがむずかしい。そういうことも、あるのかもしれない。
創案者は医者だ。医療関係者で操体法を実践している人は少なくない。あとは自分の体で確認するしかない。あなた自身が、生き証人なのだ。

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※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円/人)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円/人。三名~2000円/人)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円/人)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
※公開講習5月の予定! 土曜は18日・25日と、水曜22日が決定しています。
  14時以降、飛び入りで自由に入れます。西鉄高宮駅3分。

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感謝の心で体をととのえる-症状におびえず、慢心もせず-
2012/09/21(Fri)
「症状が出たからといって騒ぐんじゃない。症状がないからといって慢心するんじゃない」
私たちが先生から二十年がかりで教わってきたこと。
「症状は、関係ない。症状に振りまわされるな。症状が出ようと出まいと筋肉をゆるめてコリをとれ」
先生は徹底している。この二十年ぜんぜんブレない。

私たちは、それでも騒ぐ。ちょっとしたことで不安にかられ、痛いのつらいのと毎度の騒ぎである。
予約日まで自力でしのぐか。家族や心当たりで予約日をゆずりあうか。ふだんの自分たちが、どのていどほんもので、どのていどいい加減か。じっさいの症状にどれだけ応じられるかで明らかになってしまう。
何か症状が出るたび病院に駆け込む人も少なくない。いや、それがほとんどかもしれない。家人もその一人だが、それは本人の自由だからわるいことでも何でもない。主人公は患者自身。自分の人生だ。何をどうしようと堂々と判断し堂々と実行すればいい。

症状が出たからといって騒がず、症状がないからといって慢心することもなく、日々筋肉をゆるめてコリをとる。実行しようとしまいと基本は基本。基本は根っこだから、ぐらついてちゃいけない。症状が出ても、「あ、近ごろ少々怠けてたかな」くらいのことで、慌ててみてもしょうがない。
症状もそう長くは続かない。おさまれば、自分の回復力に感謝して、日常に戻るだけのこと。

操体法で体をととのえるのは、雨の日も風の日も晴れの日も、一日一日を過ごせることへの感謝の心だと私は考える。
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臓器のはたらきが改善した先に、臓器そのものの改善がある
2012/03/16(Fri)
( まずは、目に見えない「はたらき」の改善のほうに取り組む  のつづき。 )

肝臓は肝臓の細胞でがんばって、胃袋は胃袋でがんばっているのだろうか。
臓器は単独プレーはしない。胃液が出てくるのだって、たくさんの連係プレーあってのことである。
もともと臓器はつながっている。それをあえてバラバラに区切り、名前をつけたのは人間のほうだ。そういうことをすると、見えるもののほうが強調され、目に見えないつながりや働きのほうは、さっぱり見えなくなってしまう。
人間にもたらされる利益と損害のことを考えてみると、バラバラの名前を用いるのには気をつける必要があるだろう。

刺激に対する反応が、いくつもいくつも連鎖し、いくつもの連携をしあっている。一つの刺激が、いろんなところでいろんな意味を持ち、いろんな反応が同時に、もしくはタイミングをはかりながら展開してゆく。それが生き物の体でのできごとだ。
一つずつのことがらの背後に、いくつものことがらが関わっている。このことが、実は人間の把握できる領域ではない。「まだ分かっていないことも多い」という負け惜しみのようなセリフで片付けられているが、目に見えない未知の世界は体の自然におまかせする以外にない領域といえるだろう。
刺激に対する反応を推し進めたり、押しとどめたりするコントロールも驚くほどきちんと働いている。反応どうし連絡をとりあって、「せーの」とベストなタイミングで取り行う。万事そうでないと困る。
そういう営みなのだ。生きている体というものは。

全体を把握し、あちこちに声をかけながら、日夜コントロールの指揮をとる。それが脳や自律神経のはたらきである。臓器のはたらきの回復と、自律神経の働きの改善とは、切っても切れない仲ということが分かるだろう。
24時間パトロールし続ける感覚神経。そして24時間コントロールの指揮をとる自律神経。
肝臓は肝臓で、胃袋は胃袋でがんばっているのかもしれないが、臓器のはたらきを調整し、あやつっているのは神経系統である。神経系統の健全なはたらきが、何をおいても重要だと指摘したのが、橋本敬三医師だった。

自力で体を動かす。他人にさすってもらったり、もんだりしてもらっていては、できないことがある。
自力でしかできないこと。それは自分の感覚をはたらかせ、それと同時に運動神経をはたらかせるということだ。随意の感覚神経と運動神経を協調してはたらかせる。そうすることで筋肉がゆるむ。ほぐれる。すると血流が改善する。そこに自律神経の働きが改善され、臓器のはたらきの回復もなされる。
それが橋本敬三の操体法のベースにあるといっていいのではないだろうか。
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まずは、目に見えない「はたらき」の改善のほうに取り組む
2012/03/15(Thu)
「わるくなった胃袋なんか、いらない。さっさと切ってくれ」と言って手術してもらったという話だった。胃袋なしの生活を始めてから悔やんだという。
臓器は機械とちがって自己回復力を持つ。一時的な器質の異常をいちいち切除していたら身は持たない。
臓器を失った体では、もとの日常へ戻る退路は断たれる。腹の中は見えないが、手足を切るのと同じだ。いや手足を切るより深刻な点もある。臓器を切除するというのも命がけであること、忘れたくはない。

ダメになったリンゴは色も味もわるくなる。肝臓がわるい、胃腸がわるいというのも似たようなイメージなのだろう。わるくなったリンゴのように、もうわるくなってしまっている臓器なら、切り捨てるしかない。そういう発想。
いともカンタンに「○○がわるい」と言うが、じつはきちんとした二つの意味がある。
一つは「はたらき」の問題。もう一つが器質の問題。
「はたらき」は、目に見えないもの。「器質」は目に見えるもの。
肝臓がわるいといっても、いきなり時計がこわれたり、リンゴが腐ったりするような異常が起きるはずはない。働きがおかしくなっても持ち直すことが多いので、まず体への負担を減らす。養生して様子をみるわけである。

働きが回復しない場合には、器質的な問題へと発展する。器質的というのは、組織をつくる細胞そのものが弱って損傷したり死滅したりすることで、リンゴがスカスカになったり変色したりするようなことにかなり似てくる。器質的段階のダメージで、回復不能なことも発生する。

まず「はたらき」に問題が発生する。それが発展して行き着く先に、器質的な問題がある。
よって、器質的な問題の解決には何をおいても「はたらき」の改善が、ぜったいに欠かせないというのがりくつである。
切って捨てて終わりにはならない。切って捨てようと捨てまいと、いずれにせよ、機能の問題を解決しなければならないのだ。
何よりもまっさきに、臓器の機能・臓器のはたらきを改善する。器質的なダメージがどのくらい回復するかは、臓器のはたらきの改善を積み重ねて見守るしかなかろう。

( 臓器のはたらきを改善した先に、臓器そのものの改善がある へつづく。 )

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いつ治まるか分からないような花粉症に振り回されたくはない
2012/03/06(Tue)
生まれてすぐにアトピーで、アレルギー発作の苦行に放り込まれた。春とはいわず夏には夏の、秋には秋、冬には冬の「花粉症」があった。体をかきむしって血だらけになり、かゆい目をこすり鼻水たらしてくしゃみする。その体験から考えさせられることは少なくない。

鼻水たらした子供は十年病院にたよった末に、菓子のたぐいを断つことを知った。すると大きく改善したのが分かった。さらに情報を得るごとに肉も断ち、よく噛んでもみた。すべては一人で決めて、一人で勝手に実行した。水やジュースなどの水分を食中食後に飲まないようにもし、自信がつくと山を歩くようにした。一つ一つの実行は不完全でも、それなりの改善と手応えがあった。食べる量も減らしてみた。体もゆるめてみた。精神修養にもつとめてみた。
結果の見込みがどうであれ、やって別にわるいことではないことはやってみた。むしろ人生の充実にはよいことだった。成果はどんどん明らかになっていった。

いま思えばそんなに頑張らなくてもよかった。じたばたせずに、やまない雨空を見上げてじっと待つというやり方もあった。焦っても身が持たない。我が身を悔いてもしょうがない。われわれはご先祖から恩恵を受けて生きる一方、ツケを支払わされることにもなっている。体のことは一代でつくられたものではないから一代でケリのつく問題ばかりではない。
しかし私は忍耐のない人間だから、じっとしていられず、雨の中を夢中で飛び出してしまった。それを偉いですねとか言ってくれる人もあったけど、実行した人が偉くて、実行しない人がダメとか、そういう優劣の問題ではない。「まあ~偉いですね。えら~い」は実のところどうなんだろう。「あなたは偉い。わたしはそこまで偉くないから生活改善しません」と聞こえることもある。「うらやましい」という気持ちや「生活を改善するだなんて、とーんでもない!絶対お断り!」という拒絶を表現するようにも聞こえる場合がある。しかしこればかりは「やったもの勝ち」の世界。

アレルギーの発作で赤い目をして鼻水たらしていても、平気で笑っていれば不幸にならずに済む。病院医学ではアレルギーのことは実効性のある決め手を欠いている。発作が連続するか、パタッと急に止まるのか、それは自分の体にきくしかない。
発作が起これば悲観し、発作が止まれば楽観するなら幼稚園の子供にもできる。悲観は病状を悪化させる。楽観と悲観のあいだをおろおろ行き来するのは愚かだというくらい大人なら分かる。
体がかゆい、目がかゆい、鼻がつまり、鼻水がたれ、数秒ごとにくしゃみがくる。頭は重く、ぼーっとして酔っ払っている。
決して楽しいことじゃないが、予測のつくことしか起こらない。そういう意味では恐いものではない。治るものなのか、治らないものなのか、誰にもわからない。そんな茫洋としたものを相手にいちいち心配していたら、かえってストレスだ。実効のないことをやって苦にするくらいなら、できる限り無視したほうがよほどましというものだ。
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「ひょっとして病気かも」という意識が心身の健全にちっともよくない
2012/02/24(Fri)
水に溺れたら「助かりたい!」と思うのは人情だが、大抵は「助かりたい!」という意識が足かせで水に沈む。「勝ちたい!」「助かりたい!」「治りたい!」とことさら意識をすることで筋肉に緊張が伝わり体が動かなくなる。
「でも病気は治すという本人の気持ちが一番だいじですよね?」との質問に、「基本的には水に溺れたときと同じかもですよ」。
「ええ~っ? いや、でも、それはそうじゃないでしょう!」
「本人に助かりたいという意思があればよいのですが」というのがドラマでは決まり文句。
本人の助かりたいという意思に周囲が協力する。それが実を結んで助かるのではないか。
そういう意見も出た。

助かりたいという意思もなくて助かる人もあり、助かりたいという意思が強くても助からない人もある。
助かり方っていうのも人それぞれだ。どこかで話題になる美談ばかりではない。美談になりそうもない話は取り上げられることがない。ドラマチックに仕立て上げる気持ちがはたらくのも人情だが、ドラマと現実とはちがう。

病気のことや体のことを忘れずに過ごすというのは、それだけでストレスだという。ずっと考え続ける・思いつめるということがストレスそのものだからだ。たとえば一日に何度も「わたしは病気なんだ」という意識が流れ込んでくるなどは、心身の健全にちっともよくない。病人であるという自覚を持ち、治療に真面目に取り組む。それがかえって足かせになり水底に向かうということもあるわけだ。

それではもう病気のことはどうでもいいとばかりに、めちゃくちゃやればいいのだろうか。
めちゃくちゃやっているように見えて実のところ、病気のことをスッカリ忘れ去るなどということはなかなかできない相談だ。でたらめな生活を送りつつ、クヨクヨと病気のことを考える。それがふつうなのかもしれない。

病気のことは気にしない。苦にもせずほどほどに生活を楽しむ。それをカンタンに実現する方法をわたしは考える。水中に沈みもせず、必死で泳ぐこともなく、水面に顔だけ浮かせてラクな呼吸をしつつ、リラックスしたまま波間を漂い続ける。
おまえは病気だと人に突つかれながら生きるのは、わたしは御免だし、自分は病人だと自分に言いきかせながら生きるのもわたしはイヤだから、体をいちいち詮議立てするようなことはすまいと思っている。
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心身の生命活動を長い目で大目に見てやるということ-心身をアナログに見る-
2011/12/03(Sat)
どんな広い所にいても、杭を打たれてロープを張られ、ここから先の地面に入るなと申し渡されたらどうだろう。さらに囲いがじわじわと狭められたら、どうか。閉塞感にさいなまれつつ、小さな囲いの中で生きることを上手に身につけてゆくか。それとも杭を抜き、ロープをまたいで「これが自分の生き方なんだ」と開き直るか。

ある日あるとき検査の基準値という杭を打たれ、「ここから先に一歩足が出れば治療対象にしますよ」というロープが張られるが、その根拠となるデータはあいまいである。そのうち誰も知らないままに基準値がじわじわ狭められ、制限がきびしく設定されてゆく。基準値を守りながら暮らそう暮らそうとすると、だんだん自由がきかなくなる。この閉塞的な日常に耐える工夫を一生懸命に考えながら過ごすことになる。

医療の発達によって、生命活動をデジタルに見てゆくことがふつうになってしまった。
血糖値や血圧、コレステロールなどの基準値が、日常生活の行動と単純に直結させられている。毎日食べる塩分、野菜の量、毎日の歩数に運動の時間数、睡眠の量…。
数値を気にして基準値のロープの囲いの中から一歩も足を出さないことを互いにほめあいながら、基準を守って生きることを生活の指針や目標にする。そんな人が、そんな生き方が、どんどん増えてはいないだろうか。
そんな日常の中でいつの間にか、アナログ的な生命の見方・生き方が、失われていってはいないだろうか。

もともと生命活動とは自然のはたらき。デジタルではない。完全にアナログである。
自然のふるまいは精密であると同時に、おおらか。おおらかであると同時に、精巧。検査でとらえきれるものではないという前提がある。たとえば天気はコロコロ変わる。毎年やってくる夏にせよ冬にせよ、同じものはない。気温に集中して平年と比べたり前年度比較をするというのは、あくまで便宜上のことだが、日常を割り切って過ごすうちに、いつの間にか天気の本質を見失い、そんな割り切りようで全て分かる気になってしまう。それが人情。

体のほうは、ただ暑いからどう寒いからどうというのではない。三十数億年の経験にもとづいた予測もふまえて環境の変化に対応している。生命は多様な環境条件を想定し、いろんなことを見越して心身をコントロールしてくれている。
むかしの人は、いろんな自然現象を感じ取り、予測ができた。しかし私たちは、気温はこうで湿度はこうですと、いちいち数字で示されないと、暑さも寒さも具体的に感じとれなくなっているような状況。
天気一つをとってもこういうふうだから、自分の心身のことなど、わけが分からなくなっている。
検査で確認しないと不安、足がロープからはみ出せばパニックになり、はみだしていようとはみだしてなかろうと一生薬を飲まずにいられないというのは、自分の身体感覚を鈍くしていることを意味してはいないだろうか。

大目にみるというのは、どうでもいいというのとは違う。肝心のところを押さえてあれば、いちいちパニックにならずに済むということだ。
検査の数値は生命のはたらきの肝心のところを押さえているか押さえていないのか。
一考を要する。


※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたもいっしょにやってみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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どこを押しても痛くない苦しくもない疲れもしない-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/11/20(Sun)
吸っては吐くのを繰り返す呼吸のごとく、つくっては崩し、崩しては新たにつくるのが生命の生きるはたらきである。少しもじっとしていないリズミカルな不安定を保つ、生命の一呼吸一呼吸に対して一喜一憂するのはムダというものだ。

「一体どうなりたいの?」訊かれて母は「体のどこをどう動かそうと痛くも苦しくもどうもないようになりたい」と即答し、周囲の失笑を買う。
健康というのは疲れもしないし、体のどこにも一切支障がないという。ヨガをやっている人などが「あたしはどっこも、どうもない」と豪語してみせると、そういう体があるものと思い込み、自分にはそれが与えられていないと嘆いて、ひがみ、ねたみ、悔しさ、羨望といった感情に心を乱されるらしかった。

新体操の選手やスポーツ選手から目が離せない。あんな強い体、あんな自由な体で、やりたいことをやりたいようにやっている。らくらくと都合よく生きている。そのように思われるのである。
しかし彼らも生身の人間である以上、どこかしら心身に弱点を持ち、それを自覚もしている。体にしょっちゅう支障をきたし、無理を通してもいるのかもしれない。引退後にはそのしわ寄せを引き受けて生きていくのである。
母はそんなことには理解を示さず、テレビ画面に映る彼らの晴れがましい一瞬の姿を見つめる目には、羨ましさを越え、憎しみに似たものさえ浮かんでいる。

確かに痛みは異常を知らせる警報だけれども、あえて誤解を恐れずに言うと、痛みをスッカリなくしてしまうのが健康のゴールとするならば、それはほとんどの人の手に届かない永遠の理想でしかない。
人として生きる限り、生身の体である限り、ある程度の不便や苦しみは伴う。それはブッダが言ったことだ。生きるというのは一切皆苦である、と。

貧しい人が、金持ちを目指して生きるということもあるかもしれない。
体の弱い人が、体の強い人を目指して生きるということもあるかもしれない。
確かに金持ちには貧しいゆえの苦しみはない。しかし金持ちゆえの苦しみはある。貧しいのと金持ちと、どちらが余計苦しいかなど、カンタンには分かりっこない。
自分の体が弱いと思う人が、強さを目指してトライアスロンに出場することができたとき、そこにもまた、生身の弱さがあり苦しさが待ち構えているということを知るだろう。

考えられる限り有利な条件がそろっているように見えても、人間はしょせん人間。生きる苦しみから一切合財解放されたいという気持ちは私にもある。しかし本気でその実現を考えると、人間のままでは救われないと思えてくる。
人間の持つもの、心身の条件も全て含めて、いつかは変化し、失われる定めである。健康になったと喜んだのもつかの間、その微妙なバランスが、季節や生活の変化など何らかのきっかけで崩れ始める。しかし生きていれば崩れたものが新たに再建されたりもする。吸っては吐くのを繰り返す呼吸のごとく、つくっては崩し、崩しては新たにつくるというのが生命の生きるはたらきである。少しもじっとしていないリズミカルな不安定を保つ。その生命の一呼吸一呼吸に対して一喜一憂するのはムダというものだ。
ずっとずっと昔にブッダの唱えた「万物流転」ということである。

心身の平穏と安定である健康を本気で追求してゆけば生身の人間の限界が見えてくる。
ほんとうの意味での平穏とは、どういうことなのか。
永遠に失われない健康とは、幸せとは、一体何なのか。
本気で突き詰めてゆくと、ブッダの姿が見えてくるように、私には思われる。
ブッダの言っていることと、健康の道と、どこに矛盾があるだろう。
ブッダは宗教だから健康とも医療ともちがうというのも、それは考えかたの一つだからもちろんご自由である。


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イザとなれば誰か有能な人にでもバトンを渡そうというのでは-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/21(Fri)
科学技術でつくられるたくさんの物に助けられて過ごす生活だから、健康の問題も、どこかで何とかされているんじゃないかと甘い期待があったりする。しかし最後は爆弾も竹ヤリも、お金も役に立たない。地位も名誉も学位も、通用しない。最低限の知識は必要だが、決め手にはならない。他人の助けもあてにならない。
たったひとり。生身の自分で勝負をかける。自分の持っているすべてを賭ける。そういう局面に立ち向かうときがくる。大げさかもしれないけれど、健康の問題を突き詰めると、そういうことになるんじゃないかなあと思う。

私の持つテキストの一番さいしょのページには、「おんころや」とサインのある手書きの文章が載せてある。
「自分でなければやれぬことが四つある。
息と食と動と想は他人には代ってもらえない。
それに皆天然の法則がある。
知らぬと間違う。勉強すること」。

自分でなければやれない、他人には代ってもらえない。そういうことを私たちは日常あたりまえにやっている。しかしこの四行を目にするたびに、「深い」と思わないことはない。
どこかの誰かにうまいことやってもらっているつもりでいる。イザとなれば誰かにバトンを渡そうとして、もう最初から腰が引けている。そんな自分が、自分のどこかに潜んでいる気がしてならない。

健康の問題は、生身の自分で勝負。そう言い聞かせている。自分はそこからまだ遠いところで過ごしていると感じるからだ。
「守ってほしいと思っても誰も守ってくれない。だから自分でかせいで生きてきたんだ」などと家人は言うが、体のこととなるとお金で解決しようとして悉く失敗し、文句ばかり言う。本人もなんとなく「ビジネスほどうまくはいかないな~」と感じるところがあるようだ。お金をかせいでいるとか、世の中で成功しているとか、そういうこととは、ちょっと違う。うまく言葉では言えないのだけれど。


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神経を直接ねらう。神経につかさどられた宇宙。この人体。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/19(Wed)
神経の及ばないことなど、体の中どこをさがしても見つからない。体で起こることのもとをたどってゆけば、神経のつかさどる世界でのできごとだ。
健康法とか呼吸法とか、手術だとか薬だとか高度医療だとか、そういうのもまた、ご本人の神経の働きあってのこと。「これからこの体を助けてやるんだ」とか、「これから体に正しいことを教えてやるんだ」みたいな意識でやられると、妙なことになり、時には痛い目にあうこともある。

神経の働きは自分の意識で「こうしろ」「ああしろ」と操作できるものではない。
操作できるものではないものを、操作できないかなというのが、私の長年のこころみだ。
しかし細かく考えてみると、それは少々無謀なことでもある。
たとえば呼吸法をやるといったって、自律神経によって自動的に行われる呼吸のほうが圧倒的に多い。日々休みなく24時間、何年何十年と続けてきたのに対し、呼吸法の実行はせいぜい5分や10分。たとえがんばって毎日30分60分と取り組んだとしても、そのくらいのことでいったい何がどうなるというのか。

まちがった取組みにならないようにするためには生きた自分の体との情報交換をこころみる以外にないのだが、「自分は呼吸法をやっている」という意識はプラセボを生じる。あるていど期待あってのだから、生きた自分の体との情報交換といっても、心身両面でさまざまな影響を考慮してのこと。単純にはいかない。
意識的なこころみによって「効いた」というほうがむしろ不思議である。外界からさまざまな刺激とさまざまな変化に常にさらされる私たちである。個人差もある。何の要因で、何がどうもたらされたか、判断するのは用意ではない。なぜ効果がもたらされたといえるのか。その根拠が分かれば再現できるはずだし、再現されないとすれば、再現されない根拠が示される必要がある。
それが説明もできないようでは、「効いた」という判断そのものが信用ならないと言われてもしょうがない。

私が操体法に強く関心を寄せるのは、個人差のある体、変化してやまないこの身体にいつでも対応できるからである。本人の神経に直接働きかけることができるという点で、消化力や体質のことなど、多くの複雑にからみあった要素をスッパリ回避できる。本人の状態にあわせて筋肉をゆるめ、神経の働きが直接に改善されることで、本人も「あれ? 痛くない」などとその場できちんと変化を確認できる。

ぱあっと来ては、ぱあっと通り過ぎる、効いたか効かなかったかよく分からないような治療法や健康法。そのお祭り騒ぎの連続の中に、私もずいぶん参加した。手間も時間も使い、後遺症めいたものまでかかえている。
日本人は祭り好きな民族というから、「祭りだ」と割り切って楽しむのなら、それはそれでご自由ということになる。しかし「あれはお祭りでした」では困る人もいるだろう。

体や命のことは取り返しのつかないものだ。たとえ「お祭り」のつもりであっても、木刀ではない。切れば血の出る真剣勝負。考えてみれば生まれたその瞬間から生死をかけた一本勝負は始まっていたのである。



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