病気を出し切る・毒素を出し切る
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2017/12/09(Sat)
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炎症部分は見た目も赤みが増してます。 なぜ赤いんでしょうか。 血液を集めてるんですね。 熱を発して温度上昇し、血液が集まる。 これって、わるいことでしょうか。 炎症って、わるいことでしょうか。 健康保険の治療はすべて、 「炎症はわるい」と言っています。 すべての薬は炎症を止めようとする鎮痛剤であり消炎剤。 炎症を止めれば病気が治ったというわけです。 炎症を止めれば、 炎症部で行われていた作業は中断されます。 発した熱はおさまり、代謝はストップします。 集められた血液も散ってしまいます。 すると蓄積された毒素は分解されずに残ります。 それが次の病気の原因となります。 薬で鎮痛・消炎を繰り返せば、 何度も何度も病気が繰り返され、 さすがに体も弱っていくと思われますが、 それでいいのでしょうか。 ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ 記事をアップしました!! ![]() 操体法の体験・指導・施術をご希望の方は、 PCメール (fukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆→@にして送信してください) 携帯メール(freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp ☆→@にして送信してください)携帯のみ受信。 電話 080(1720)1097 いずれかにて、お問合せ・ご予約を受け付けています(施術は初回三千円、以降二千五百円のみ)。 講習会につきましては日時などお問い合わせください。 資格をお持ちの方、すでに開業している方、 また将来的に活動をご希望の方、遠方の方にも、 それぞれ対応いたしております。 上記の連絡先へご遠慮なくお問い合わせください。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 スポンサーサイト
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頭に酸素をゆきわたらせるー「眠気覚ましをしたいとき何をしますか?」ー
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2016/09/24(Sat)
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8年眠ってない女性もいる。(ルーマニア) 医学的な処置(睡眠薬)では効果がなかったそうだ。 中国にも50年間ほとんど眠ってないひとがいる。 ほんとうかどうかは定かではないけれど、 睡眠はあたりまえのようでいて実は理由がわかっていない。 べつに眠らなくてもいいんじゃないかと思われることもある。 今の自分は操体法を応用して姿勢に集中する。 姿勢を正すのではなく、 背骨を中心として、体の重力のかかり方に集中する。 すると呼吸が切り替わる。 呼吸が深くなると目がさえてくる。 酸素がじゅうぶん行き渡って、 一時的ではあるが眠気が去るようだ。 ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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生身の体のままで、どこへでも飛んで行けるー「どうやって空を飛びたいですか?」
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2016/09/17(Sat)
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これは明らかに明晰夢といわれるものだ。 少し練習するだけで、 自分の好きなところで、好きなことができるようになる。 子供のころ私も空を何度でも飛んだ。 はるか高いところから山や海や街を見下ろしながら、 ものすごい速さで飛ぶこともあった。 びゅうびゅうと吹き付ける冷たい風が、 とても夢とは思えない。 部屋の天井に吸い寄せられるように、 すうっと体が浮いたこともあった。 目が覚めると、 「やっぱり飛べる」と確信したりしたが、 いつしかそのことを忘れてしまった。 夢の中でもかまわない。 生身の自分の体で、自分のコントロールで、 自由に飛ぶということを、 私はもう一度できるようになりたいと考えている。 ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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力んでよいことは何もないー力を捨てれば入ってくるー
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2016/09/16(Fri)
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そんなに力んでよいことは何もない。 力は捨てなさい。 捨てればいくらでも入ってくる。 ついでに胃袋も空っぽにするといいことがある。 どこもかしこも詰め込み過ぎだ。 整理整頓術が人気であるが、 まず不要なものを捨てることが第一段階というのが、 どれも共通のようだ。 博物館じゃあるまいし、 そんな大量なものを保管管理するのは、 非常に体力が必要であるし、 その努力はムダになる。 だからラクになりたかったら、 体も心も胃袋も、ついでにお部屋の中も、 空っぽにしてみたらよいのである。(了) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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ゆるめたら空っぽになるー本来あるべき筋肉の状態ー
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2016/09/15(Thu)
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からだをゆるめるというのは、 体から余分な力を抜いて、 からだを本来あるべき空っぽの状態に、 戻す試みであるのに違いない。 からだをゆるめたらラクになる。 これはべつに不思議でもなんでもない。 当たり前のことなのだ。 頭痛、腹痛、肩コリ、しびれ、腫れ、痛み、 何でもかんでも「ラクになりたかったらゆるめなさい」が、 正解なのだ。 ゆるめて空っぽにしてやったら、どうなるか、 やってみたら誰にだってわかることだ。(4) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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固い筋肉はコントロールがきかないー渋滞した鈍い体ー
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2016/09/15(Thu)
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固まった筋肉は、 力をこれ以上、通すこともできず、 力を抜くこともできないでいる。 動きが鈍いというのは、 コントロールがきかないということだ。 固い体は渋滞した道路に等しい。 車が押しあいへしあいしているところに、 救急車を通そうといっても、 混雑した合間をぬって、のろのろ進むしかない。 力が渋滞している。重い体である。 頭が固いというのも同じことだ。 すでにいろんな考えが押しあいへしあいしているので、 もはや新しい考えは入って来ない。 頭には不要な知識をごちゃごちゃ詰め込まないことだ。 いっそ空っぽにしておくのが俊敏に動ける。(3) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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空っぽだから軽やかだー軽やかな体は疲れないー
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2016/09/14(Wed)
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体はいつでも空っぽにしておく。 そうすれば少しの力で軽やかに動くことができる。 だから疲れることもない。 人は年を重ねるにつれ、 体は固くなるし、頭も固くなる。 固い体とはどういう体かというと、 動きが鈍く、キレがない。 力が抜けきれなくて固まっているのだ。 力が入ったまま縮こまって時間が経過しているので、 血流不足で神経も圧迫され、 感覚がにぶくなっている。 動くのも一苦労二苦労。 「どっこいしょ、やっこらせ」だ。(2) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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たった一つの真実を求めて-枝葉末節について-
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2014/07/21(Mon)
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「枝葉末節にこだわるな」とは、
先人たちの警告である。 ほんとうに尊重すべきは根幹であり、 根幹的な生き方をする人間である。 情報はたいせつと言われるが、根幹ではない。 人間が根幹。情報はあくまで枝葉である。 ざわざわと、風になぶられる枝葉は、 まさに情報社会の様子をあらわしているように思われる。 その幾百千万の枝葉の中に、 ほんの一握りの真実が、隠されている。 あまりに多くの情報が、 真実のかすかな響きを、かき消している。 たくさんの無駄な情報と、 たった一つの貴重な情報。 どちらをとるか。 雑音・騒音のまっただ中で、 真実のかすかな響きを聞き分ける耳を、 持ちたい。(了) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 ※7月のご案内 7月12日(土)15時~ 7月19日(土)14時半~ 7月23日(水)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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最後まで枯れないもの-枝葉末節について-
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2014/07/20(Sun)
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根幹がしっかりしていれば、
枝葉を芽吹かせ、花をつけ、 実を結ぶこともできよう。 どんなに細い木だって、 根っこと幹さえあれば、 新しい芽を吹くことが、できるのである。 何が枝葉で、何が根幹なのか。 見抜く感覚が、ほしい。 いつかは枯れる枝、 いつかは抜け落ちる葉に目を奪われて、 自分の身を託す愚をおかすわけには いかないではないか。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 ※7月のご案内 7月12日(土)15時~ 7月19日(土)14時半~ 7月23日(水)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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すぐに枯れたり抜け落ちたりするものに、しがみついてもしょうがない
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2014/07/20(Sun)
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枝はかんたんに折れたり枯れたりする。
葉は、常に抜け落ち、生えかわる。 枝や葉というのはそういうものだから、 枝葉にいちいちとらわれていても不毛だし、 何より貴重な時間を失ってしまう。 情報社会を覆っている「情報」というものも、 日々いくらでも芽生えてくるが、 次々と枯れ落ちて、姿を消してゆくのが大半で、 どれだけ大量に枝葉を集めて積み上げても、 一本の根にもならず、 幹にもなりようが、ない。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 ※7月のご案内 7月12日(土)15時~ 7月19日(土)14時半~ 7月23日(水)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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当たらずとも遠からず-感覚のくるいは骨格のくるい-
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2014/07/14(Mon)
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操体法で、骨格のくるいを減らしていくと、
狙い通りとまではいかないが、 くるいの幅がせまくなり、 はずさなくなってきた。 だんだんとラクになり、 幸せに向かって歩んでいることを実感する。 操体法は、ただの健康法に終わらない。 心身の健康の向上が、 幸せに結びつかないなんてことは、 金輪際ありえない。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 ※7月のご案内 7月12日(土)15時~ 7月19日(土)14時半~ 7月23日(水)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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幸せの条件-思い描いたとおりに-
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2014/07/14(Mon)
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次こそは、と思う。
今度こそ、と願う。 そして結果は、「ああまたダメか」。 その繰り返しがつらい。 だんだん気持ちもくさっていく。 物事が思い通りになることを「如意」。 「意のごとく」というのは、幸せの条件ではないだろうか。 思いがほとんど裏切られ、 ほとほと困り果てていた。 操体法が自分の目の前にあらわれたのは、 ちょうどそういう時だった。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 ※7月のご案内 7月12日(土)15時~ 7月19日(土)14時半~ 7月23日(水)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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楽しいのがほんもの-自分の役に立つほんとうの勉強-
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2014/03/24(Mon)
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自分の子に何を伝えるか。「真っ先に伝えたいこと」「生きるうえでだいじなこと、役に立つこと」が先にくるだろう。その当然の話が、学校では守られていたろうかという話が出た。
「とりあえずやっときなさい」のオンパレードだった。「とりあえず」ではない、ほんとうの話がいつ出てくるかと期待し、出てこないまま終わった。スッカリ失望しながら大学、大学院へと進んだという話も出た。 自分の役に立つかどうかなど考える余地がない。「今はわからないでも大人になったらわかる。だからやっとけ」で、国立大に行き、大学院に進んだ。「大人になっても最初からさいごまで、何の役にも立たなかった」と笑い話になる。 国には国の立場で、そのときどきの政策方針があり、そのときどきの「お国の役に立つ」内容が教科書であり、義務教育の価値観である。 事実の集積のように見えて、むしろ社会通念、社会の常識、教養といったほうが適当かもしれない。それが必ずしも自分自身の生きる役に立つとは限らない。真っ先に自分が知るべきこと、自分が生きるうえでだいじなこととは限らないのである。 ![]() 健康法 ブログランキングへ 何が役に立ち、何が役に立たないか。それは、そのときどきの自分自身にしかわからない。そんな当たり前の事実に、うかつにも気づかないまま、「とりあえずやっておけ」の勉強に、なけなしの時間とエネルギーを注いでしまった。「まったく、うかつだったね」という笑い話になる。 「複雑でむずかしいばかり、あんなのやったってちっともわかるようにならない」。ふだんあまり話をしない方が最後につぶやいた。それが痛烈な一言となって耳に残る。私も認めたくはないが、ぜんぜん役に立ちそうにない、わからないテキストばかりやらされるうちに、「勉強とはこんなものだ」と思い込んでしまった。 学者にしかなれない勉強だったら困るし、「社会人」にしかなれない勉強も、困る。自分自身の勉強が始まる。今ようやっと、楽しい自分だけの勉強が、始まったと感じる。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※3月の操体法講座(グループ実習)は、第二土曜(3月8日)、第三土曜日(3月15日)、第四土曜(3月22日)、第五土曜(3月29日)、第三水曜(3月19日)です。その他の日程についてはお問い合わせください。 ※誰でも参加できます。(参加費二千円) ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも受信可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯同士のみ受信可。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②ゆったりプライベート実習(二名2500円。三名~2000円) ③じっくり個別実習(3000円) ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 天神から大牟田線普通電車「高宮」下車徒歩3分。野間四角交差点信号先3つ目のビル。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番)で「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC受信可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯からのみ受信可。 |
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冷夏も夏バテする体があり、猛暑の夏をエンジョイする体もある-あなたはどちらがよいか-
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2013/08/02(Fri)
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快適さというのは「遊びの幅」がだいじだ。ぴんと張りすぎた弦ではよい音も愉しめず、またすぐに切れてしまうのと同じで、クーラー25度といったピン・ポイントの快適を求めれば、やがて生活を愉しめなくなり、すぐに切れるようになるだろう。
できるだけ幅の広い、融通のきく心と体をイメージしたい。 人間は融通がきくため、あらゆる気候の土地で生活できるようになった。 住居や服などの防御策があるにしても、極寒の地や酷暑の地を訪ねてみれば、なんと幅の広い融通をきかせて人間が生きてきたかを実感する。 ![]() 健康法 ブログランキングへ 融通がきくというのは、寛大な心を持つということだ。寛大な心は寛大な体にこそ宿る。あれにもこれにも耐えられないという体にしてしまっては、心だけ寛大というわけにもいかなくなる。あらゆるものを敵にまわすより、全てを味方につけるほうがよい。 「記録的な暑さ」「猛暑が続く」などと叫びたてるテレビやラジオの声には耳をかさない。気をつけるといったって、自律神経のはたらきだ。寒冷な夏でも対応できずに夏バテする体もある。猛暑に対応できる体であれば、楽しい夏を満喫するだろう。 全ては自分の体と相談することだ。暑さも「遊び」、寒さも「遊び」と心得る。暑さを暑さと思わず、寒さを寒さとも思わない体になるのが一番ラクである。 ![]() 夏季集中講座のお知らせ ①7月…ご参加ありがとうございました! ②8月日程(中間報告)18日(14時30分から)・22日(11時から)が決定しましたので、希望者をあらたに受け付けます。25日は開講人数に達していませんが、20日まで連絡を受け付けています。 ※会場:いずれも福岡市野間(野間四ツ角交差点徒歩1分) ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①みんなで講習会(参加費2000円) ②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円。三名~2000円) ③一人でじっくり個別実習(一回3000円) ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 天神から大牟田線普通電車「高宮」下車徒歩3分。野間四角交差点信号先3つ目のビル。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番)で「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に) |
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好き・嫌いがストレスのもと-一番嫌いなことが好きになれば恐いものはない-
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2012/12/21(Fri)
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「好き嫌いこそ個性」という一方で、「あれ好き!これ嫌い!」とうるさい人は周囲も不快だし本人も苦しそう。「好きなこと見つけろ」といわれる一方で、好きなことを追求する人はむしろ「苦手」や「嫌い」を減らす作業に熱心。スポーツなどその典型で、「苦手」や「嫌い」をどれだけ克服できるかが、好きなことを続けていけるかどうかのカギを握っている。
操体法で、体を右に倒すのと、左に倒すのと。「どっちが好きか、どっちがイヤか」とさんざんやらされてきた。 「どっちもそう変わらんじゃないか」と思われるようなことを、「鏡に映したように正確に同じ感じがするのか」と追求されれば、それはまずあり得ない。「そこまでいうなら、こっちかなあ」と、最初はしぶしぶやり出した。 体の弱い人や病気の治りにくい人ほど、操体法でできる動きのレパートリーが少ない。好き嫌いをハッキリ持ち、融通がきかず、「苦手です」「嫌いです」が山ほどあって、申し訳程度に「好き」がある。その強い偏りを「これが自分だ個性だ」と言って一切の変更を恐れ、拒絶する。生活の改善というより改変そのものができそうにない。 ガンコ・ワガママ傾向で自分自身をしばりつけ、身動きできずに苦しい思いをしている。そういう人ほど体の動きに「右も左もちっとも変わらない」と主張するから不思議である。 体の動きに伴う左右の違いがわかるようになってくると、言うこともガラリ変わってくる。「苦手」や「嫌い」が減って、数少ない「好き」にしがみつく必要もなくなってくる。食べ物の好き嫌いも減り、いろんなことが少しずつ平気になって無頓着の様相すら帯びていく。 あらゆる面で神経質だったのが図太くなっていく。それが健全ということなのか。 私自身のたどった姿である。「あれも苦手・これも嫌い」と「好き嫌い」を基準につくった自分の世界が、いつの間にか「あれ?好き嫌い減ってる」「イヤも好きもない。平気になってる」と気がつく一方、喜びや感動はむしろ増えている。 なるほど。感動するにも嬉しいと感じるにも、いちいち「好きだから」という理由は必要ないのだな、と思う。「好き嫌いなど気にすることもない。放っておこう」と思う。 好き嫌いあること。それはむしろ弱点かもしれない。「好き」にしがみつけば災いがもたらされ、「嫌い」は苦痛を伴わずにはいられない。「嫌い」をなくせば当然ながら「好き」と「嫌い」の差は縮み、どっちもまずまずという楽天となる。 以前に酒の席で、「自分の一番苦手なことを好きになったら世の中に恐いものはなくなるぞ」と師匠に指摘されたのは果たしてこういうわけだったかと思いあたる次第。 |
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痛すぎる痛み・苦しすぎる苦しみは自然ではない-生きる方向へ軌道修正を促す、必要最小限の痛み-
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2012/12/15(Sat)
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「人は『今』に悩んだり苦しんだりすることはできないんです」
そのような話を禅僧に伺う。 「過去や未来にとらわれるとき人は悩み苦しみますが、『今この瞬間』には過去も未来もない。一瞬一瞬過ぎ去ってゆく、この『今』に意識をおいている限り、悩み苦しみはないのです」 「とはいっても、私たちの意識はつねにあちこちに飛んでじっとしてはいませんから、そうカンタンではありませんけどね」 そうかしら? 今を苦しむということが、人間にはないのかしら…と疑問にも思うが、苦しみが相対的であるということなら体験がある。病気やケガも、「これが一生続くわけではない」と思えばけっこう平気で耐えられるし、「悪化するんじゃないか」「ずっと続くかも」と思えばこれ以上苦しいことはないのである。じっさい、どんな苦しみも断続はあれど永続しない。痛みのことは医学的・科学的にわからないことが多いといわれるが、じっさいほとんど何もわかっていないようだから勝手に想像させてもらっている。 生き死にのピンチをくぐり抜けた人の体験話を、直接に聞いたり読んだりしてみると、人が感じることのできる痛みの大きさには限界があるようだ。大事故で大ケガだとたくさん痛くて、小さなケガだと少ししか痛くないとは単純にいかない。野生のクマに生きながら手足を食べられた女性の話では、できるだけじっとして自分の腕がゴリゴリ噛み砕かれる音を聞いていたというのもある。身近な話では、交通事故で大腿骨を折った人や、屋根から落ちて両足首を複雑骨折した人などがいるが、どの人も「そのときにはさして何ともなかった」という話である。両足骨折した人などは、そのまま歩いて駐車場に行き、自分で車を運転して病院に行っている。「痛くなかったですか」と聞いたら、「そうでもなかったですよ」などと言う。 痛みは、かなりあとになって感じる。大きすぎる衝撃を受けると全身マヒ状態になり、かえって痛みなど感じないシステムになっているらしい。 痛みはダメージの大小に比例しない。不要な痛み、受容不可能の苦しみの部分はカットされ、限界が設けられている。あんなにひどいことになったら、きっとただじゃすまないな。痛いだろうな苦しいだろうなといろいろ恐ろしいことを考えて、不安や恐怖におそわれることもあるけれど、しぜんはそんな無駄なことはしないようだ。 死ぬときはきっと恐ろしいだろう、こわいだろう、痛いだろう、苦しいだろうなどと妄想すると、誰だって平穏な気分ではいられない。しかし自然の営みは無駄な痛みや苦しみを用意してはいない。痛すぎる痛み、苦しすぎる苦しみは、ほんらいではないのだ。自然は、「不自然ですよ」というメッセージが伝わる必要最小限のボリュームで痛みを与え、生きる方向へと軌道修正を導く。 生きる方向への道を閉ざされ、痛みや苦しみが必要なければ、痛み苦しみもなくなるとも考えられる。 じっさい禅宗の名僧たちは苦しまずに死んでいる。苦しみぬいて死んだら名僧とはいえないだろう。 よって名僧たちの生活などは大いに参考にしたらよいと私は思う。 |
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体熱のうち、筋肉でつくられるのが六割、肝臓では二割といわれるが
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2012/12/04(Tue)
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汗をだらだら流すエキサイティングな運動は気分も高まるからカンタンだ。
日常のシーンの中で運動の要素を増やすというのはやりがいが感じられず、楽しくもなんともない。今日は頂上をいくつ踏んだというような達成感もなく、誰も「すごいですね」などとはほめてくれない。 「だからどうするんだ?投げ出すのか?」と自問する。 山歩きできなくなって五年。筋肉がごっそりおちた。すらりとした足には太ももや尻がどこにあるかわからないくらいだ。「その年齢で筋肉落とすとなかなか回復せんぞ」という一言も痛かった。「足踏みだろうとスクワットだろうと何でもいいからとにかく一日中、こまめに、やれよっ」 体熱のうち、筋肉でつくられるのが六割、肝臓では二割といわれるが、筋肉が落ちると体温が下がりやすいのを実感する。厚着するのがいいというような冷え方ではない。つくられる熱そのものが足りず、厚着をしたからといって体の中はちっともあたたまらない。対症療法的には遠赤外線治療機や温灸、それに温泉や風呂などが効果的だろう。しかし体の働きからいうと「あたためればあたためるほど、冷やそうとする」のだから、めったやたらにあたためればよいということでは済まない。 体が冷えると気持ちのほうもなえる。 まったくもって厄介である。 運動といえば息も荒く、汗をだらだら流すイメージがある。しかし運動というのはそれだけじゃない。 汗をだらだら流すエキサイティングな運動は、気分も高まるからある意味ではカンタン。取り組みやすい。 しかし健康に必要な筋肉は、むしろ地味にこまめに日常のシーンの中で運動の要素を増やすというところからつくられる。すごくない運動がむしろ必要であるが、これは励みになる要素がぐっと減る。 「だからどうするんだ?投げ出すのか?」と自問する。 やりたくない理由をいくら山積みしても、筋肉が落ち、筋肉が落ちたことで損失をこうむるのは私自身である。筋肉を落としていいことなんか、一つだって、ない。 取り組まない理由なんか、いくらでも出せる。やりたくない理由をそうやって、がんがん山積みする。どれだけ困難なことかをどんどん強調する。そして、さいごに、言う。 「見ろ。この困難なこと。これに比べたら山の頂上を目指すなんていうのは子供のお遊びのようなもんだ」 「だからこそ、お前の勇気と智恵が試されているのだ。年をとるっていうのはそういうことじゃないのか」 「困難であればあるほど喜びも大きい。ほんとうの達成感も、そこにある」 「さあ、生きろ。そして、ねばれ」 気がつくと、へこたれている自分である。どれだけ困難なことに直面しているかを、きちんと自分自身でわからなければならない。朝出かけて汗ダラダラして、夕方帰ってきたら「いい汗かいて気持ちよかった」というような単純なことでは済まない。じいっと息をひそめて少しずつ少しずつ積み上げていく地味な作業のどこに喜びを見つけられるのか。 まさに智恵と勇気が試されている日常である。 誰だってそうじゃないのかと思う。 |
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時間グスリを効かせよう-そのままをそのままに、受ける-
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2012/07/30(Mon)
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時間は、クスリ。
「どんな症状に、どのくらいの量で効いてくるか、きちんと確かめるのがプロだ」 との一言を受けた。 連日の川遊びで冷えの症状が出たのを、遠赤の温熱と腰風呂の効用でさっさと難を逃れた。うまくいったと思っていたら、「なんにもするな」と斬られたのだった。 せっかく出た症状だ。何も手出ししないでも同じとき同じように回復したのかもしれない。余計な手出しをしたから時間薬の効き目もわからなかった。治癒力を発揮させる機会を失ったんだ。 と、そういう話だった。 「せっかく備わった治癒力も、発揮させなければ失われていくんだよ」 「時間はだいじだ。時間グスリを活用することをおぼえなきゃ」 ついつい治すことだけ考えてしまう。少々心得があると「こうすれば、こうなる」と手っ取り早い方法に走り、症状がなくなれば、もう何も考えない。これでは臆病すぎて得るところはないということなのだと思った。 「死ぬことはない」「まあ治りはする」そうわかってはいても、一分一秒でも難を逃れたいのが人情。しかし人情に流されてばかりでは学びのチャンスが台無しになる。 苦労は買ってでもせよともいう。少々の苦労もイヤとばかりに逃げの一手では、鎮痛剤に頼るのとかわらない。 よし。次の波はもっと時間グスリを効かせてみよう。 自分の心と体に、そう誓ったことだった。 |
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辛い目にあう時間とウキウキ過ごす時間の比率が違ってくる
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2012/03/29(Thu)
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物心ついたときにはひどい低血圧。午前中は生きるのもつらいという感じ。朝をさわやかに過ごすというのが子供時代からの切実な夢。
それが実現し、寝起きが安定したのは操体法を実行してからのこと。操体法をやっていると、体の奥のほうからぐう~んと突き上げて全身に快感の波が押し寄せる。伸びである。とくに朝はおもしろいように次から次へと押し寄せてくる。 操体法を早く知れば知るほど、人生の中でつらい目にあう時間を減らし、うきうきして過ごす時間を増やすこともできるのではないか。 ところで私の祖母たちはじつに長生きをした。ずいぶん勇ましく元気もあった。父方のほうは、もとから恵まれていた。暗いうちから起きて町内のお掃除や、庭の草むしりをしないではいられない人で、私が幼少時にさわやかな朝の目覚めを願ったのも、このおばあさんのことが頭にあったからだと思う。足の裏が肉厚で、ふかふかしてとっても気持ちがよい。「あの感触は」と今でも話題にされるくらいだ。 母方のほうはまるで違った。ぬぐいきれない不安を抱えているような顔をしていた。よくあんなふうで長く生きたものだ。大病こそしなかったが寝つきもよくない。何かにつけ不平不満をこぼしながら一人で過ごす人だった。 そんな祖母も、孫の私があまりに頼りなく思われたのか、あるときふと「いいこと教えてやろうか」と私にささやきかけた。 「あたしは寝床の中でこんなことをやってるからね。いつもこれでだいじょうぶなんだ」言いながら、「寝どこ体操」をやってみせてくれた。朝と晩に、老人が人知れず熱心に取り組んでいるという体操が、今にして思えば操体法の原理に似ているのだった。 「これはおばあちゃんが自分で工夫していろいろ考えたんだよ。あたしはなんでも自分で考えて工夫してるの。朝と晩に寝どこでこれを欠かさない。だからこうして一人で、誰の世話にもならず、ずっと畑しごとをして、食費もせつやくしてる。おばあちゃんを見習いなさい」。 寝どこで両肩を交互に上げ下げしたり、足の先を左右交互に突き出すなどして、骨盤をかたむける動きが左右できちんとできているかを確認するのだという。骨盤の動きのよくないところが解消していくように、工夫しながらいろいろてきとうに動くのだという。 「これで、たいがいの痛みは、消える。やってごらんなさい」と話す祖母の顔つきは自信に満ちていた。「だれも助けてくれないよ。シッカリ自分でやりなさい」と励まされた。 あとにも先にも一度きりの話。静まりかえった家の中で、二人だけの一瞬の立ち話のようなこと。曇りガラスを通して差しこむ日ざしが、私たちに降り注いでいる。 長生きで元気な人の話は聞くものだ。 そして、その元気を、本人の意識にはない何らかの条件によるものと、本人の意識的な工夫によるものとに、分けてみるといい。 本人の申告をそのまま受け入れることはできない。しかしいろいろな人にあたってみれば、共通点はある。 寝どこで操体法をやるようになってから、朝の目覚めは理想どおりになってきた。寝ぼけ眼でいきなり寝床を這い出すというようなストレスフルなことは、やらない。まず寝どこで足先を左右交互に突き出し、骨盤の傾きや動きをチェックする。足を天井に向かって左右上げ比べをする。うつ伏せでも似たようなチェックをする。 チェックをするうちに、体の奥のほうから、ぐう~んと突き上げてくるものがある。全身に快感の波が押し寄せる。伸びである。おもしろいように、次から次へと突き上げてくる伸びが、わたしのほんとうのお目当てだ。 起き抜けの足どりも軽く、このたのもしい歩みに「ようし今日も楽しく過ごしてやろう」というモードが自動スイッチで入る。 おばあちゃんの言いつけは四十年近くも経って、今ようやっと孫の私に生かされているといえようか。 |
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たいへんご利益のある生活改善。-「よしよし」と自分に声をかける-
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2012/03/14(Wed)
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「よっしゃ」とか「うっしゃ」とか、「さぁ、やるぞ、やるぞ」などと自分に声をかける。だからといって「何をどうするの?」とは一切考えない。いくらでも好きなだけ「よっしゃ!」「うっしゃ~」「うりゃ~」「さあ、やるぞ!」と言えばよろしい。気が進まなくても「よっしゃ」「うっしゃ」としばらく一人でやっていれば疑いや迷いやモヤモヤが瞬く間に消えてしまう。単純。愉快である。
気の済むまでやったあとは、「よし、よし」と声をかける。「よしよし。よしよし」。これも好きなだけやってよろしい。「よしよし、わかったわかった」と受け入れるようでもあり、自分で納得するようでもあり、何もかもすべてを受け止める手ごたえの、がしっとした犬の頭をなでているようでもある。 「よしよし」はいろんな気持ちがこめられる言葉なのだ。 「あ~あ、またやっちまった」「こういうところがワタシってダメよねえ」と一日に何度か反省のため息をつくかわりに、「あ~あ」というタイミングですかさず、「よしよし(大丈夫だいじょうぶ、なんていうことないよ)」「よしよし(たいへんだったねえ、わかる、わかるよ)」。そして「さあ、やるぞ、やるぞ」と態勢を立て直す。ごちゃごちゃ考えない、思いわずらわない心の状態になるまで、「よっしゃあ」「うりゃ~」とやってれば、いい。 慣れたら瞬時に心が切り替わる。態勢の切替えが身につくのである。身につくとはオートマチックで努力のいらない状態のことである。 いろいろ高級なリクツこねたって、スッキリとはいかないものだ。窓を開け、新しい光と風を呼び込んで、腹の底からやるのもいい。お相撲さんの、シコをふんだり、てっぽうをかますような気分でやると心も体もあったまる。シコには邪気払いの力があるとも言われている。 何かが現れてからでは「よっしゃ、やるぞ」とはいかないこともある。なんにもないときにこそ、「さあ、やるぞ。やるぞ」と自分に声をかけておく。 すぐにその場でできる、たいへんご利益のある生活改善である。 |
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