疲れず・いつも軽やかに過ごせる・・ここだけの話、今地味に欲しい能力を教えてください!」
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2022/11/08(Tue)
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疲労しない体、いつでも軽やかに動ける体・・つまり持久力のことでしょうね。
スポーツ選手じゃないけれど、少しずつトレーニングを続けています。 山道を歩いて多少疲れたなと思ったら引き返す。 それを毎日やってごらんと元プロの方に教えていただきました。 疲れたと思えば引き返すのだから毎日やれる。 疲れを残さないこと、それがいちばんですね。 同じルートを歩いてると、その日の体調のバロメーターになる。 平らな場所を歩いてもダメだからねと注意を受けました。 これけっこうあちこちで聞きますね。 傾斜のあるところでは、体で最大の筋肉である四頭筋と大殿筋が活躍します。 平地のウォーキングとはくらべものにならなくらい短期間で効果を実感します。 トレーニングなんか考える余裕もないくらい、疲れをためる生活では体が劣化して、 毎日楽しく過ごせないですね。 生活もまた、少し疲れたなっていうくらいで休憩をとる必要があるでしょう。 慢性疲労になるまで・・倒れて病気するまで休めない状況では、 どんなにお金をもらっても幸せの実感はわかないと思います。 本日も読んでくださってありがとうございました! スポンサーサイト
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親の問題は私の問題・・('_')お父さんとのエピソード」
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2022/06/16(Thu)
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父ももう86歳。さいごに会ったのは30年前だった。
30歳だった自分も還暦を迎え、そのまま父とは生き別れかと思いきや、 ふとしたことから連絡をとりあうように。 今なら聞ける、さまざまなことが話題になる。 会うたびごとに、刺激的な会話が何時間も続く・・。 これは父の遺言だと思って自分も聞き取りを続けてる。 いわゆる家庭崩壊の元凶だった父の性格と行動も、 今の私だから少しはわかる。 父を理解せず、補佐できなかった母もまったくしょうがないことだった。 それも今の自分にならわかる。 厄介な両親のおかげで人間について考えることをやめなかった自分がいる。 大きな災いでもない限り、能天気なままだった。 今の自分になら両親に感謝もできるでしょう。 終わりよければすべてよしとする。 |
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紅葉は上からおりてくる(^o^)花は下からあがってくる
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2020/11/03(Tue)
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今年の紅葉はどこに行こうかな、
って考えるだけでも相当な時間がかかってる。 行こうと決めた日が雨で延期すると、 見頃を過ぎてしまうんじゃないかとやきもきしますね。 どうせ紅葉たって、枯れ葉だよねぇ。 枯れかかってくのを勝手にきれいだなんだと、 言ってるだけじゃないのって、自分で自分を茶化したり。 写真のような、錦絵の紅葉風景を九重で一度だけ見たことある。 あんまりできすぎた紅葉で、なんだか落ち着かなかったな。 それでも動画やサイトを見ると、三俣山の紅葉はすごい。 すごいけど三十代でいちばんよかったころに二度敗退、 その後は登ってないから、今後の自分には、まあムリでしょう。 登ったよって記事はたくさんあるけれど、 みんながみんな、いつでも登れるとは限らない。 そういや見ごろと思って出かけたら遅すぎて、 幹と枝ばかり骨だらけの山って感じのときもあったな。 10月末から紅葉でやきもきしてくる。 じっさい見てきたひとの情報をこまめに調べます。 紅葉は高いところで始まり、すそのほうにおりてくる。 寒さは高いところが先取りだから、服装に気をつけたい。 紅葉が済んだら、あとは花の季節、5月後半ですね。 春は低いところから始まり、高いところへとのぼってく。 身近なところで始まって、下から順々に追いかけてくほうが、 気分的にラクな感じするけどね。 |
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病気だらけの自分から足を洗う
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2017/02/19(Sun)
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手術を受けたらガクッと力が落ち、 強い薬で応援されたら、 副作用でガクリと力を落とし、 だんだんとややこしい病気になって、 病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)というように、 最初は大した病気でもなかったのが、 深みにはまっていくパターンが、 対症療法のこわいところ。 資本である体を、 知らず知らずのうちにやられてしまう。 病気だらけの一生のひともある。 体が弱いというのが、その主な理由だろう。 その根本原因に手をつけさえすれば、 病気だらけの一生から足を洗える。(8) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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昔のままで幸せです-昔の生活はまちがっているのか-
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2015/12/13(Sun)
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オーストラリア先住民の楽器ディジュリドゥを、 近所で練習しているというので、見学に出かける。 何となく声をかけたら女三名になったが、 現地では女性が触れることはタブーの楽器である。 大学時代に、アボリジニ研究の文化人類学者から、 指導を受けていた時期があった。 研究のため、家族ごと現地で生活されていたと聞く。 先住民の人々は、古来の生き方のままで全く困らない。 外部に助けを求めたりもしていない。 勝手に外からのりこんできた者たちが、 奪ったり殺したりしてほしくないと願っている。 そんな話を聞いたのを、昨日のことのように思い出す。(続1) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 |
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いつどこでどのようにつくられた欲求不満なのか
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2015/07/19(Sun)
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何らかの理由で食糧の供給がストップし、 今の食事量が半分になる状況に直面したとしよう。 私は食べることで済ませていた欲求を、 食べることで解消できなくなり、 何か他の方法で欲求不満を解消しようとして動き出すはずだ。 「食べることで解消していた欲求不満」は、 いつ、どこでどうやって、 つくられているものなのだろうか。(続8) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①集団講習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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食べ過ぎなのに栄養不足?-脂肪酸の栄養学-
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2014/08/02(Sat)
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「飽食の時代」と言われて久しい。
食べ過ぎの時代にあって、 まだ足りないものなど、あるのだろうか。 むしろ引き算して、 「食べないほうが、よいのだ」とも言われる。 他方、「私たちはいま何を食べたらよいか」というテーマは、 国民全体の一番の関心事であるようにも思われる。 その熱心さを思うにつけ、 これはただ単に、食欲の問題にとどまらず、 現代人の飽くなき渇望の裏側には、 現代の食生活において、ごっそり抜け落ちているもの、 「栄養上の欠陥」というものが、 あるのではないかと、疑いたくもなる。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※操体法実習の日程 8月27日(水)14時半~ 8月30日(土)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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一年365日通い続けるという課題を実行してみる
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2014/05/23(Fri)
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最初は意気揚々としていたものの、 ほどなく困難が押し寄せてくる。
早起きしなければ、生活にさしつかえる。 少しでも無理をすれば、回復にゆるされた時間はわずかである。 「ああいよいよ今日こそは、行けないかもしれない」 一か月二か月と続けば続くほど、プレッシャーが大きくなる。 風に吹き消されそうになるローソクの炎を、 両手で囲んでかばうかのように、 山に通う時間と体力を、生活の中でキープしなければならない。 「ああもうつらい、行きたくない。どうしてこんな羽目に」と、 ストレスで涙を流しながら登山口へ車を走らせることもあったが、 山から帰る車の中では、ウソのように上機嫌。 「やっぱり山は裏切らない。あしたも来よう」と、しみじみ思う。(続) ↓お読み下さりありがとうございます。 ↓ワンクリックでサイトが開きます。 ![]() 操体法講座(グループ実習)のお知らせ ※5月のご案内 ※操体法実習の日程 5月10日(土)15時~ 5月21日(水)14時半~ 5月24日(土)14時半~ 5月31日(土)14時半~ その他の日程についてはお問合せください。 (080-1720-1097もしくはfukokasoutaihou☆yahoo.co.jp ☆は@に) ※誰でも参加できます。初心者・体験歓迎します。(参加費二千円) ![]() ※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)PCからも可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 ※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。 ①グループ実習(参加費2000円)②プライベート実習(二名2500円。三名~2000円)③個別実習(3000円) ※②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。 ※見学・体験受付中。 博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番) 「野間四角」バス停下車。徒歩1分。 お問合せ電話080(1720)1097(山下) またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)携帯・PC可。 携帯メールfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)携帯のみ。 |
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もともと地球はゆたかだ。やっきになって過ごしてもしょうがない
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2012/02/22(Wed)
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金品を自分のところにできるだけ沢山かき集めたいという気持ちは誰もが持つ。しかし地球の豊かさに比べれば、人間のかき集める財など、たかがしれている。
「地球は豊かなところだ」と実感したのは、文無しで大学に合格した際に奨学金がおりたとき。労働と引換えでなく、向学心以外に何の見返りも求められない純粋な金だった。 会ったことも見たこともない人から小切手がじっさいに送られてきても、まだ信じられないという気持ちがした。小切手に添えられた「奨学生の自覚を持って勉学に励め」という文面を読み、「やる気さえ失わなければ一生何でも好きなことをやってゆける!」と強く思った。 おそらくこの世界は、私が成長することを望んでいる。なぜ自分の成長をこの世界は望むのだろうか。 そんなことを考えるにじゅうぶんな刺激だった。 人間の成長の行き着く先には、意図する・しないにかかわらず、「世のため人のため」につながってゆく。だからこそ奨学金制度も成り立つのではないか。そう私は思った。一人が使い尽くして終わりにするのではない。自分が使った先に、自分からあらたにつくり出されるものがある。そうした見込みの「財」もあるのだというようなことを、在学中に小切手を受け取るという繰り返しの中で考えていた。 地上にはモノやカネといった「財」があふれており、それを支えるのは地球のゆたかさである。 人間が生きていられるのも、元をたどればこの地球がゆたかだから、ということにすぎない。 人間にできることは、あくまで分配。ゆたかな地球が戦場になるのは、人間関係のほうに少々の不具合があるというだけのこと。戦争で湯水のように費やされる膨大な物資も兵器もまた、支えているのは元をたどれば地球のゆたかさに他ならない。 やっきになって集める必要など、ないのではないか。 これが自分なりの、世界への信頼というべきものなのかもしれない。 |
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体調の上下の波。その繰り返しのゆきつく先は-福岡操体法の講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/22(Thu)
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今日は朝からさえないとか、昨日より体調がよいだとか、そういうことならまだ分かる。しかし自分の体調を長期的に見て上昇気味か下降気味か、はたまた維持されているのかを判断するのは決してカンタンではない。
検査の数値は行き当たりばったりの感をまぬがれない。その日その時の数値が基準をはずれれば「ハズレだから体がおわるいです」。別の日に数値が変われば「今日は当たり。大丈夫」。 毎日検査を続けてみれば数値は変動するだろう。今日はハズレ、明日は当たりと、さぞかし目まぐるしいことになる。検査の基準の範囲内で生きていれば健康で元気ということで、数値の基準からはずれた日はダメなのか。そんな単純に見ていていいものなのか、体って。 肝炎発病を期にヨガと食事で養生して一年過ごした後、病院に行って血液検査した。「正常」。言われてうれしいような、うれしくないような。当時19歳。まだまだいくらでも元気になれそうだった。しかし体調は、発病前と比べたらぜんぜん違う。今日もダメ、明日もダメ。からっとした晴れ間の見えない、だるくてつらい体。それを「正常」と言われてしまえば、もうこれ以上は手の施しようがないというわけだ。「あ~これが自分の正常になってしまったというわけか。この調子で生きていけということか~」。 実際にはそうはならなかったが、当時の自分は気落ちした。 体調には波がある。上昇や下降を繰り返す。上がり下がりをしながら、だんだんと右肩上がりになったり、右下がりになったり。その幾多もの波の示しゆく方向を読み取るには技術が必要だろう。 波にも、一ヶ月ごとの、季節ごとの、一年ごとの、十年ごとの、波というのがある。一生の中の波というのだって、ある。 やれ薬だ、やれ手術だという場合に、こうした波と、その波の行方まで考慮してあることは全くといっていいほどないだろう。大小のいくつもの波の行き着く方向を見守り、見定めるのは、自分自身。そのほかには誰も、いない。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。 |
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どのくらいやれば一人前になれるのか-福岡操体法の講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/19(Mon)
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漁師さんに尋ねてみたことがある。何年もかかる、熟練を要するという返事を予想していたが、「数か月で分かるようになるのもいれば、十年やっても分からないままのもいる」。
ずばりその通り、受験指導にしても、操体法の講座にしても、同じだと思った。 人間は機械じゃない。 一の入力で一の出力、十の入力で十の出力を大人たちは期待しても、そういうようにはならない子供たちのほうが多かった。一の入力をしても、二、三と努力を重ねていっても、出力ゼロが続くなんかザラ。 そういう時期に、子供はなじられたり、努力が不足しているとか、絶望の声を浴びせられがちだが、そこを通過して急に、出力が十にも二十にもなるような、そんな日が来るのである。 赤ちゃんが言葉を話せるようになるのと同じだろう。 赤ちゃんはバカだからしゃべれないのではない。言葉を話せるようになる、つまり出力が期待できるようになるまでに、入力ばかりの状態が、ある一定期間続く。そしてある日急に、話せるようになっている。 操体法だって、足をこう持って、圧痛点はこうとって、と教わればその通りできそうなものだが、すぐにその通りできる人もいれば、なかなかできない人もいる。 操体法を始めるまでに、すでに何十年も生きている。これまでの生活で身につけてきたこと全てが、関わっている。初心者といえども、あっという間に「分かる分かる」と進んでいく人もあれば、「よく分からないなあ~」の段階を長く過ごす必要のある人もいる。「なんで私には分からないのですか」と質問されることもある。それまでの生活全てがそうなっている。呼吸、食、動、想、ずうっとやってきたこと全ての積み重ねから出てきた結果だ。分からないのならなおのこと、やれば大きな変化が期待できる。 少し時間を経過すれば「なあんだ、こういうことか」と分かる日がくる。どうして分からなかったかが、分からない。そんな日がくると分かっていれば、いい。楽しく体を動かしているほうが、早くその日を迎えられる。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで |
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犬も、人間も、生きものすべて共通の命のはたらきを感じて-福岡操体法スタジオの講習 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/18(Sun)
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歩き方がおかしくて病院のお薬で対応したら二日で立てなくなった。硬直した筋肉をゆるめてやると、ほどなくして歩き始めた。以来、朝方にゆるめてやると一日過ごせる。痛みで悲鳴を上げていたのがウソのようだという。
人間ではなくて犬のお話。 服薬して二日後には治るどころか、立とうとするたびギャインと声を上げる。そんな老犬の痛ましい姿を見て、痛みどめと抗生物質では腰椎ヘルニアに対処できまいと思ったという。 ちょっと前に身内がぎっくり腰で入院したのを、習いたての操体法をたずさえて見舞いにゆき、対処した。その経験から自信もついていた。 人間も、犬も、基本的には同じではないかと思い、指先の感覚をたよりに筋肉をさぐっていったらしい。痛みを与えず嫌がらないことを心がけながら、「こうかな? こっちはどうかな?」と工夫するうちに、ゆるんでくる。 ワンちゃんもさぞかし飼い主さんへの信頼を厚くしていることだろう。 よかったよかった。 野口整体では、手をかざす愉気というやり方がある。これを会員さんたちが植物や熱帯魚、ペットなどにやってみて、たいそう喜ばれているという内容を読んだ記憶がある。 こういうのは今のところ、非科学的だとか気のせいだとかで、まともに取り合わない風潮であるが、人間どうしばかりでなく、生きものの種を超えて共通の、命のはたらきが実感される現象を、自分の手や指先を通じて知る体験は、何ものにも代えがたい感動がある。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで |
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ラクで楽しいが一番の健康法-操体法スタジオの講習会 お問合せ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/17(Sat)
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キャンプや山歩きを頑張らないとできなかった。頑張るからストレスで疲れて嫌になる。しかし今の自分は、やろうと思わなくてもやってしまう。やらないとストレスになるという状況。
こんなに変わるんだなと思う。 野外で過ごすのがイヤだなんて、ほんとうはそんなはず、なかったのだ。海や、川や、山や、野原がイヤだなんて、どうして私はそんなことになっていたのだろう。 野外で過ごす体験に、とぼしかったのだ。野外で過ごす気持ちよさを、知らなかった。 誰かが連れ出してくれたらなあ~などと虫のいいことを考えないでもなかったが、待っていても埒があかないので頑張って自分で動いた。 頑張り過ぎて気持ちの面で負担だった。しかし自分は変わりたいという気持ちのほうが強かった。これをやらなかったら、これまでのまま。それで生きていけないこともないけれど、どこか危機感を感じてもいた。何がなんでも続けていたら、きっと今よりはよくなると信じて、バカみたいに出かけ続けた。だってもうこれしかないんだもん、と自分に言い訳しながら出かけて行った。 やっと最近、自分の体の感覚ができてきた。朝目が覚めたらすぐに一度は外に出ないと落ち着かない。「いやあ今日の空はまたいいなあ~」と明けゆく空を仰ぎながら、体の硬いところを探り、ゆるゆるとゆるめていく。 一日のスケジュールを確認し、空き時間に応じて出かける先を決める。時間が少ないときは近所のウォーキングコース。まとまった時間のあるときには少し遠くの山か川。時間がまったくないときは、いっそのこと出かけない。 出かけない日が二日も続くと、思いきって早起きして時間をつくる。もしくはテントで一泊する。寝る場所を室内から外に移すだけだから余計な時間はかからない。 ここまでしてでも、私は外で、自然の中で、少しでも過ごしたいという生理的な欲求が出てきた。 原始的な感覚が、少しでも体に戻ってきたら、自分が元気になるようなことが、やりたくなる。 体にいいことが、一番楽しくてラクに感じるようになったら、あとは好きにしていい。 好きにしているのが、一番いい。 健康状態が今一つという方には、自然のゆたかな場所で過ごすことをお勧めしている。 体力に応じ、自分のそのときどきの生活状況に応じ、野外で過ごす時間を五分でも十分でも自分の生活につけ加えてゆくのである。自分にお気に入りの場所をいくつか見つけて、週に一度でもいい。出かけてみてください。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。 |
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力の出ることば「笑顔招福」と「障害打破」-未病を治す福岡操体法スタジオの講習 お問合せ soutaiabc★yahoo.co.jp(★→@)-
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2011/09/16(Fri)
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崩れる幸せだったら本当の幸せとはいえない、と子供のころ考えていた。団らんの最中にふと、足元を支える床が崩れそうな予感があった。
困難が持ち上がるときのほうが現実感があるというか、迷いなく元気に立ちあがる。「障害は私を屈せしめない。あらゆる障害は奮励努力によって打破される」(『レオナルドダヴィンチの手記』岩波文庫)という言葉に私は共感する。 しかし障害物が具体的なかたちとなって目の前に出てくるまでのあいだ、どうするか。実際、すでに団らんの最中に足元では床が崩れ始めているのかもしれない。崩れ落ちてしまってから、さあ困難が来たと立ちあがるのでは、遅い。 「未病を治す」という考え方は、目の前に障害物があらわれるのを待たない思想である。 団らん的な幸せの中にどっぷりと浸り、床が崩れ落ちるまで何もしない。それがふつうではあるのだが、それでは「未病を治す」などとはとうてい言えないのである。 笑顔招福という言葉がある。 あらゆる困難を笑顔で迎えていると、困難が困難でなくなり、しだいに福に転じてゆく。そんなイメージなのであるが、もう1つ、こういうイメージもある。困難も、笑顔で迎えられるくらいの段階にあるうちに、福に転じておく。本当の困難にならないうちに手を打ってゆけば、誰にだってやせ我慢の笑顔でなく、ゆとりの笑顔をたやさずにいられる。 本当の困難に直面したときには「笑顔といわないまでも、これをどう受けとめれば泣きっつらや怒りで迎えずに済むだろうか」と考えるのが智恵と思う。 ウソでもいいからヘラっと笑って、「参ったなあ」と頭をかく。そういうゆとりがほしい。 次から次へと目の前に大なり小なりの障害物があらわれる。それが生きるということだとすれば、障害物の1つ1つに悩んだり苦しんだりしていては身が持たない。 いかなる困難に対しても喜びとやりがいが感じられれば、恐いものはなくなる。むしろ困難が好きになるかもしれない。 一般に言われる「団らん的幸せの図」はもともと一時的なもの。終わりのない宴などない。いつかは崩れる幸せのかたちだ。「まあこういうのも時にはいい」と思うくらいのもの。それを継続しようとか、それが当たり前にふつうと思うから、おかしなことになる。 好きな言葉・モットーは何かと訊かれたら、笑顔招福と障害打破。自分にとって力の出る言葉だ。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで |
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チャンネルをたくさん持つということの強み-福岡操体法スタジオの講習会 お問合せfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/15(Thu)
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人生が一枚の試験問題ならば、どの人の答案用紙も程度の差こそあれ虫食いだろうと思う。やさしい問題順には並んでいない。最初から一番難しいということだってある。その結果の虫食い。それを順序よくきれいに解きたいと思ったら「これを乗り越えないと先に進めない」ということになる。
解けない問題を前にして、のたうちまわり苦しみもがくことも少なくない私であるが、一生かかって答えの出ない問題も少なくはなく、一応の答えが出るのさえ五年十年かかることもザラ。いったん出た答えを書き改めるのも一度や二度ではない。困難を乗り越えるのはもちろんだいじだが、すぐに解いて片付けようという姿勢は問題をなめてかかっているのか、とも思えてくる。 解けない問題を前にしていちいち悩み苦しんでいれば、なかなか身動きがとれない。動けないというあらたな苦しみが加わって状況はさらにややこしくなる。 今の自分ではどうしようもないことが次から次へと出てくる。生きているということは、いつ解けるかわからない問題をかかえながらも動くということだ。それでもある日、前の問題を読み直したら、ひょいと答えが浮かんだりもする。あとの問題を解くうちに、前の問題が一気に解けるということも少なくない。「これも解けない」「あれも解けない」とぶつくさ言いながらも、できるだけ身軽にしてあちこち食いかじっていると、これが案外に愉快なものなのだ。 ほんとうに動けなくなればそれで終わりだが、「もう動けない」と観念しても、しばらくするとまた動き出したりもするから、生きているっていうのは不思議である。 動きのとれなくなったチャンネルはとりあえずそのままにして、別のチャンネルを開設するのもいい。そこもダメになれば次のチャンネル、また次のチャンネルと、チャンネルが増えていくのもまた、愉快である。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよい動きをちょうどよい加減で動くことで、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。 |
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自らのぶざまな姿を恥じることなく忘れずにいようと思う-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/14(Wed)
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調子のよいときは何だってかまわないが、一旦危機に直面すると、それまで通用していたものが殆ど使いものにならなくなる。四年前の交通事故で分かったのは、危機に際して手元に残るものが、本当の価値あるものだということだった。
自分の直面した困難に、操体法が通用するかどうかに確信が持てなかった。いや操体法そのものがどうというのではなく、自分の身につけた操体法が、困難に備えのないヤワなものだった。そしてそれ以上に自分自身がヤワだったに違いない。 情報や知識は大切だが、役に立たないものでもあった。ムチウチは数カ月にわたり症状をあらわしていくと分かっても、渦中にある自分の身に、まさにそのことが起こっているという事実がなかなかのみこめないのである。 失われた過去の自分の体の機能には大いに執着したし、そこから先の自分から失われてゆくものを思って大いに絶望をした。そんなふうだから、残された自分の力を十分に発揮することなどできないのである。ただでさえ弱っているところに過去への執着と未来への絶望が加われば、現在の持てる力の半分、いや十分の一にさえ届かないかもしれない。つらくなるのも当たり前だろう。 それまでの自分は人からの相談を受け、励ますのが仕事。趣味のほうでは山歩きのトレーニングも積んでいた。その自分がこの体たらくということもまた、とうてい受けいれられなかった。 これを機に、いい加減な自分の操体法を見直して、ほんとうにダメなものなら捨てようくらいの気持ちだった。誰かが勧めてくれたからとか、他の誰にとってよかったからということではなくて、本当に自分自身できちんと答えを出すときが来ていたのである。「治らない」と三人もの医者に太鼓判を押され、「ああそうですか」とすんなり引っこむことが私にはできなかった。 幸いにも操体法は私を裏切らなかった。私の操体法の研究はまだまだ発展途上だが、講習にあってはちゅうちょも遠慮もない。参加者の一人一人が、自分はだまされないぞというくらいの気持ちで、大いにやっていただきたいと思う。 ※読者の皆さまのご健勝ならびに、U.I.さん、N.H.さん、N.M.さん、K.S.君、I.H.君のご回復をここに特に祈る。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、気持ちのよい動きを、ちょうどよい加減で動くことで、体の回復をすみやかにはかる運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。 |
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どんなときにもそのときどきの、自己ベストを見つけながら生きてゆく-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/13(Tue)
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やる気がだいじというが、意欲の過剰は身を滅ぼす。頑張り過ぎればいつかはダウンし、過剰に動いたぶん回復に時間がかかる。体を傷めた後遺症が残ることもある。スポーツ選手の引退後の体をみせていただいたときに痛感したことだ。
無理はいけない、ともいう。 しかし単純なひびの入った骨折などをギプスで固めるとどうなるか。 使わなかった場所の筋肉は確実に衰える。不自然に固められた腕や足が曲げ伸ばしできなくなるだけでなく、固められたところをかばって過ごしていたために、全身各所までおかしなことになっている。骨がつがったときには長い長いリハビリという手間が残ってしまう。 痛みを我慢して無理するのは論外。しかし痛みにびくびくすれば、それはそれでおかしなことになる。ちょっとくらい痛くても仕方がないが、できるだけふつうに過ごす。 必要最小限のテーピングで普通に過ごすことを心がければ、骨が治ると同時に全身の状態もよくなっている。実際にそれが一番治りが早いだけでなく、ベストな仕上がりの回復である。 頑張りすぎず、頑張らなさすぎず。それがベストの自分。 調子がよいときに頑張り過ぎるのが自分のベストなのか。その後に頑張りのツケを支払って、プラスマイナスゼロならまだしも、体をいためたぶんマイナスが出ることもある。そのことを考慮した、ちょうどを見つけてゆけば、自己ベストが分かってくる。 調子がよくないときには、調子がよくないなりの、ちょうどというのがある。妙な規制をかけて萎縮する必要もないし、低調であることをうらみがましく思う必要もない。 調子がよくないなりのちょうどで過ごせば、けっこう調子よく快適に過ごせるものである。 どんなときにも、ちょうど、ちょうどと、ちょうどよい加減を渡り歩く。 それで何一つ困ることはない。嫌なこと、困ったことというのは、どこかに何かの過不足があるということ。過剰もなく、不足もないところを渡り歩けば、そのときどきに許された、一番生き生きした自分でいられる。それが長期的にも自己ベストである。 けがをしようと老齢になろうと、どんなときにもそのときどきの、ちょうどちょうどの自己ベストを見つけながら生きてゆきたい。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、気持ちのよい動きを、ちょうどよい加減で動くことで、体の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。 |
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自分のピッタリを見つけて常に自己ベストで過ごす-操体法で加減を知る(福岡操体法スタジオ)-
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2011/09/12(Mon)
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ストレッチもジョギングも、翌日の体に何かを残す。その感じが体によいことだと私は思っていた。ストレッチはいつもより背伸びして「もうひと押し」する。体操は弾みをつけて頑張れるところまで腕を伸ばし足を上げる。「体によいこと」がなかなか続かず、だんだん苦しくなってくるのは「もうひと押し」や「弾みをつける」のもたらした結果だが、ここで今度はどこまで我慢できるかと根くらべしてしまう。
食事の制限もまた同じ。生活の改善はいつも「やりすぎ」と「やらなさすぎ」とのあいだを振り子のように往ったり来たり。私は子供のころから何でも「さあやるぞ~」とやりすぎる。やりすぎて頑張れば「もうダメだ~」で終わるのは時間の問題だというのに、「もうダメだ~」をいかに先延ばしするか、根くらべの我慢大会になってしまう。 そんな自分だったから、「自分のちょうど」を知って、「自分のちょうどで生きる」というのは消極的な響きがしないでもない。操体法は自分のちょうどを見つける。そのときどきの自分に「ちょうどだ」と思うところを加減する運動療法が、操体法。 一念発起で「やるぞ~」と頑張って、くたびれたら息切れして、終わりというものではない。最初のころは少々刺激が不足しているようで物足りないと感じていた。 物足りないくらいが、続けられる。翌日に何も持ち越さない。それがいいのだと分かるのには時間が必要だった。 ヤドカリっていう生き物をイメージしてみる。自分が小さければ小さい殻をさがしてもぐる。大きいときには大きい殻に入る。それが「ちょうど」ということである。ヤドカリは、自分に合わない殻はいつでもさっさと捨てる。いつもいつも大きい殻にばかり入りたがるのは愚かである。 小さい殻がピッタリのときは、そのピッタリが自分のベスト。大きい殻がピッタリのときもあれば、小さい殻がピッタリのときもある。自分のピッタリさえ見つけてつなげてゆければ、いつでもベストな自分でいられる。 操体法のおかげで少しは知恵もついてきたか、ヘタれて疲れてロスをつくる無理無駄パターンと、いつも気持ちよく持てる力を出し続けるベストをつなげるパターンと、どっちがいいか、よ~く考えてみることにしている。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 あなたも始めてみませんか。 お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。 |
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邪魔な目隠しを取っ払い、自由に歩ける力強い歩みを取り戻す-九州・福岡操体法スタジオ-
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2011/09/07(Wed)
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最上の答えは自分の中にある。迷いがないとは、自分にとって最上の答えがいつでも必要に応じて湧き出てくること。他の誰に何を言われようと、へいちゃらだということ。
自分の答えは自分にしか分からない。自分にしか分からない答えだのに、自分に分からなくなっている。そこが大問題。人に教わらないと分からないということほど不安なことはないからである。 目隠しして歩く人には次の一歩に水たまりがあるか、深い穴があるか、安全な地面があるかは、踏み出さないと分からないのである。 親切な人がそばにいてくれて「さあまっすぐ進んで。大丈夫だから」と声をかけてくれるとしても、自分の目で見ない限り、こわごわと足を運ぶしかない。 人に指示されながら生きるというのは、こわいこわいと足を運び続けるしかない、ということだ。 もしくは「めくらめっぽう」と言われるように、一歩足を踏み出した先に水たまりがあろうと深い穴があろうと、動けなくなるまでお構いなしで通していくか。 情報というのは互いに矛盾しあう。専門家の意見も一致することはないのである。情報も知識も人の意見も、目隠ししたまま歩く人の不安や心配をぬぐうことは、まずないだろう。 自分の人生を闊歩して歩きたいときは、まずその目隠しをはずす。一気にはずせないときは、ぐるぐる巻きの包帯をゆっくりはがすみたいに、少しずつでもはずしていければじゅうぶん。 自分の目で見る以上に安心なことはないのだから。 視力がおとろえているときは視力を改善する。改善に改善を重ねてゆくにつれ、ものごとがクッキリと見え、不安はみるみる減ってくる。水たまりに足を突っ込んでも平気だ。「水たまりに突っ込んだ」と分かればいい。浅いのか深いのか、いちいち訊かなくったって自分で分かる。深い穴に落ちそうになったら、「深い穴に落ちるぞ」と体勢をととのえることだってできる。自分自身で対処してゆけることが一つ増えるごとに、自分の目も鍛えられていく。 あなたに代わって専門家や周囲の人々がそれぞれに「そこは水たまりだ」と言ったり、「いや湿地だ」「底なし沼だ」「海だ」と言うのにいちいちつき合っていくのか、それとも自分の目で確かめるか。 あやふやな足取りで歩いていくか、少々の困難もものとせず、自分で乗り越えてゆく覚悟で歩んでいくか。 それを選ぶのもまた、自分自身。 操体法は身体感覚を中心に据えた運動療法である。身体感覚のトレーニングは自分の中の答えが必要に応じて湧きでてくるための訓練でもある。 ※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、一生役に立つ運動療法です。 自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動も始められます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下えつ子)まで。 |
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人体はまさにミクロコスモス。果てしない宇宙がそこに広がっている。
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2011/09/05(Mon)
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一対一で向きあう空間の中で、ともに体を動かして、動きにともなう感覚に耳を澄ます。感覚の発見「わ?」。驚きの「おっ?」の声が、思わずあがる。それが操体法の施術であると私は考える。
一か月、三か月、一年と、同じ空間を共有しながら体の声に耳を傾けることで体の個性、体の歪みが発見されてゆく。どこからともなく、ここが、こうで、あそこのところが、ああでと、課題が分かってくる。 「体の歪み」とカンタンに言うが、カンタンに分かった一つの答えでおしまいではない。やっていけばやっていくほどに、先へ先へと分け入ってゆく。 人体はミクロコスモス。果てしない宇宙がそこに広がっている。 どこまで連れてゆけるか。それは案内人である施術者の力量とも関係してくるだろう。 開放された空間で、いろんな人といっしょに体を動かし、たくさんの「わ?」「おっ?」に囲まれる。それが集団講習であると私は考える。みんなの驚きと感動に包まれると、分からなかった感覚が、急に分かったりすることがある。体の声が、はっきりと、よく聞き取れたりもする。どこまで飛んでゆけるか。それは自分自身の力量しだいである。 個別の施術と、集団の講習との両方が補い合って、車軸の両輪のようにうまく回ってゆくことで、道が切り開かれてゆく。 一言であまりにもカンタンに「未病を治す」などと言う。 あまりにカンタンに「体の歪みを改善する」と言われる。 もちろんカンタンだと思うから、気軽に、カンタンに、取組むということもある。最初はそれでよい。それしかない。 だんだんとやっていくうちに、気づきがあり、好奇心や冒険心がわき、「未病」という本当の意味、「体の歪み」という本当の意味を考えるきっかけをつかむことも、あるのかもしれない。 ほんものに対する好奇心が広がりを持ち、考察が深くなってゆけば、それだけ真実に近づいてゆくことになる。 真実は、ミクロコスモス。果てしのない宇宙の広がりである。 ※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、たいへん役立つ運動療法です。 自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせはメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。 |
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